ロシアを旅行してRSK―OB  亀山寿志     

私は去る9月1日から9日まで友人とロシアを旅してきました。ロシアといえば、1991年のソ連邦崩壊までは共産圏の雄として君臨した国です。だが今は大国ロシアといえども、チェチェン紛争の火種を抱え、アメリカ同様テロの恐れに直面し、国内治安は極めて厳しい状況にあります。しかも、元々ロシアは治安の悪さではスペイン以上と云われ、スリやかっぱらいは日常茶飯事。観光客の夜間独り歩きは絶対に控えろと云われていた国です。その上にチェチェン関連のテロを警戒しなければならず、モスクワ中心にテロ発生は必至といわれていました。その予言通り8月の旅客機2機の同時自爆テロ、さらにはモスクワの地下鉄付近の自爆テロと続き、日本外務省もモスクワ渡航は出来るかぎり控えた方がよいとの警告を出していました。
 だが私らのツアーはそのような情勢下でさえ、決められたとおり実行されました。先ず関空からコリアンエアーでインチョン経由モスクワへ直行。そしてサンクトペテルブルグ市とモスクワ市を中心に観光しました。目玉は世界三大美術館の一つエルミタージュ美術館の見学を中心に、エカテリーナ宮殿やピョートル大帝の夏の宮殿、そしてモスクワではクレムリンや赤の広場、更には周辺のウラジーミルやスズダリなど歴史に彩られた古都の周遊でした。
 先ず到着した翌日は、モスクワで赤の広場を中心にノヴォデヴィッチ修道院や、モスクワ大学を見学しました。
【赤の広場】
 赤の広場はクレムリンの壁に接し、聖ワシリー聖堂国立歴史博物館、それにグム百貨店の建物で四方を囲まれた73千平米もあえる歴史的広場です。その中にレーニン廟とか、かつてポーランドの支配下からロシアを救ったという英雄ミーニンとパジャルスキーの像があり、また処刑台として使われたというロブノエ・メストがあります。政治的集会などロシアのニュースには常時登場する誰もが知っている広場です。私は赤の広場の「赤」とは共産党の赤を意味するものと思っていましたが、赤はロシア語では美しいとか優れていることを意味し、素晴らしい広場を意味するそうです。9月7日にはここに13万人のアンチテロ集団が集まって集会を開きました。

レーニン廟にはかつてスターリンの遺骸も安置されていましたが、1961年の共産党大会でフルシチョフのスターリン批判が行われ、今はその隣の地に追われて小さな墓として存在しています。

この外チェーホフやフルシチョフの墓もあるという、16世紀初めワシリー3世が建てたノヴォデヴィッチ修道院や、モスクワに7つしかないというスターリンゴシック様式の建物モスクワ大学を見学しました。

この日はモスクワの触りを一寸見学しただけで、汽車でサンクトペテルブルグに向かいました。特急で5時間余り。
《サンクトペテルブルグ》
 昨年建都300年を迎えたサンクトペテルブルグは、かつてペトログラードとかレニングラードと呼ばれたロシア2番目の大都市です。ロシア近代化の父といわれるピョートル大帝により建設され、1917年まではモスクワに替わって首都として栄えました。ここでは何といっても先ずエルミタージュ美術館です。

【エルミタージュ美術館】
ロマノフ王朝歴代の宮殿として存在した冬の宮殿を中心に、小エルミタージュとか旧エルミタージュ等5つの建物で形成されています。エルミタージュとはフランス語で「隠者の間」という意味だそうですが、18世紀から皇帝の離宮として栄えた宮殿です。イタリア人ラストレリの設計による建物は、緑色を主体にしたファサードが実に印象的です。
1050
の部屋数を有し、エカテリーナ女帝らが集めたコレクションは300万点にも及ぶと云います。1点を1分ずつ見学しても5年間はかかるという膨大なものです。

我々のツアーもこの美術館には丸1日留まり見学しました。ですが、美術に弱い私には宝の山に何れが良いとかどうとかは、作者の名前が有名かどうかで判断をするしかありませんでした。その中でも有名と思われるものは両サイド写真等です。これらはビデオで収録した中から抽出しましたが、ビデオの撮影は有料で350ルーブル(1400円)でした。


 次にサンクトペテルブルグで見逃せなかったのは、30キロほど南のプーシキン市にあるエカテリーナ宮殿です。エカテリーナ女帝によって1756年に完成した宮殿です。

【エカテリーナ宮殿】
 ここもラストレリの設計によるブルーを基調とした美しい建物で、日本とも関連深い宮殿です。18世紀の末に日本から漂着した大黒屋光太夫が、ここでエカテリーナ2世に拝謁しています。ロシアに行った初めての日本人という訳ですが、彼は漂着して10年後に帰国できています。謁見した大広間は黄金の壁で飾られ、さぞ大黒屋光太夫も目を見張ったことでしょう。

またここには部屋全体が琥珀で飾られた「琥珀の間」があることでも有名です。第二次大戦でナチスに全てを奪われ紛失してしまいましたが、現在のものは建都300年に間に合うようにと昨年復元された新しい部屋です。残念ながら写真撮影は禁止されていましたが、それは素晴らしいもので、私は隣の部屋から一寸だけ盗み撮りしました。

ところで、ここで偶然にも私は岡山から視察に訪れていた岡山経済同友会のメンバーに会いました。岡山ででも滅多に会わない方から、声を掛けられて驚いた次第です。世の中実に狭いと思いました。一行は北欧からロシアに立ち寄り、さらにバルト3国を廻るという旅程でした。

さてサンクトペテルブルグには30キロほど西、フィンランド湾に面してペテルヴァレエツ(ロシア語でピョートルの宮殿の意)という場所があります。そこはピョートル大帝が夏の宮殿を建てたところで、これまた素晴らしい宮殿です。

【ピョートル大帝夏の宮殿】
宮殿の周囲には広大な公園があり、あちこちに噴水が水を噴き上げています。その数
150と説明がありましたが、本当かどうかは判りません。噴水はポンプを使わず自然の土地の高低差を使った水力だそうで、配管は全長22キロにも及ぶそうです。噴水には色々な彫刻があり、有名なのは「ライオンの口を裂くサムソンの像」です。金箔で覆われ、誠に派手な像で、噴水の立ち昇る高さは18mにも達するとの説明もありました。宮殿は18世紀に出来たものですが、ここもナチス・ドイツに焼き払われ、1958年に復元されたものだそうです。


 ところでサンクトペテルブルグに滞在中、テロによる北オセチアの小学校占拠と大量虐殺のニュースを知りました。何しろテレビはロシア語のみ(CNNはネットなし)、新聞もまたキリル文字のロシア語ばかりで写真でしか判断できません。日本では大きく取り上げられたニュースがここでは扱いが極めて小さいのです。やはりこの国は政府によるメディア規制が強く、言論・報道の自由には、まだ程遠い情勢にあるのだと思わざるを得ませんでした。ニュースの内容を最もよく知り得た方法は我々参加者の中で、日本の家族から心配してかかって来た電話による情報でした。それに基づいてロシア人ガイドに根掘り葉掘り聞いてはみたのですが、はっきりした内容の説明がなく、彼らもよく理解できていない風でした。しかし、情報不足の不満とストレスは強く感じたものの、危険という緊迫感はほとんど感じませんでした。

さてサンクトペテルブルグからモスクワへの旅はまた列車の旅で、1等寝台に乗車しました。夜1135分発でモスクワには710分着です。完全コンパートメントで室内には花が飾られ、スリッパや洗面道具、さらには朝食用の軽食も用意されていて快適でしたが、トイレの汚さには些かウンザリでした。

【黄金の環】
 モスクワに到着後は、市内観光に先んじて先ず周辺の町を巡る観光に出発しました。モスクワの北東部には中世の古都を偲ばす田舎町が点在しています。そこにはまさに中世の教会や修道院が数多く建ち、それらの町を結ぶと円形になることから黄金の環と呼ばれています。
《ウラジーミル・スズダリ》
黄金の環の一環としてモスクワの
190キロほど北東にウラジーミルがあります。歴史はモスクワより古く、そこにはかつての要塞を思わせる凱旋門に似た黄金の門があり、小高い丘には12世紀に建てられたウスペンスキー聖堂とかドミトリフスキー聖堂等ロシア正教の古い教会があります。丘から下方を見渡すと一面緑の中にクリヤジマ川が流れ、遠くに大きな発電所が煙を吐いていました。ロシア有数のトラクター工場がある所です。ウスペンスキー聖堂は後にこれをモデルにしてモスクワのクレムリン内にも建てられ、その元になったものです。
 そこから更に30キロほど北にスズダリがあります。赤い実がすずなりになったナナカマドの並木が続く田舎町で、ここには50以上の教会や修道院が建ち並んでいます。景観の保護という目的で3階以上の建物の建築は規制され、教会を除くと低い建物が点在したところです。この日はここに泊まりましたが、我々のホテルも2階建てです。ここのホテルには各室内に電話がなく、しかも各部屋の鍵はジェジュールナヤ(各階の世話係のおねーさん)と呼ばれる鍵係の女性がいて、その人から受け取ります。朝のモーニングコールもこのジェジュールナヤが各部屋のドアをノックして廻ります。何ともはやのんびりムードのロシアの伝統的なホテルでした。
翌日は、先ず
14世紀に建てられたという分厚いレンガ塀に囲まれたスパソエフフィミエフ修道院に行きました。まるで刑務所のようなレンガ塀に囲まれた建物ですが、かつては政治犯や子が産めぬという罪で皇帝の子女も入れられたところだそうです。そこからはポクロフスキー修道院の美しい遠景が見えました。昼食はこのポクロフスキー修道院の中でとりました。

ところでスズダリにもクレムリンがあります。クレムリンとは城塞の意味でモスクワに限らず至る所にあります。その中でロゼストヴェンスキー寺院や、イコン博物館を見学したのですが、この町はロシア特有の町全体が博物館といった感じの閑静なところでした。スズダリの見学の後はモスクワへ引き返しました。

《モスクワ》
 モスクワではホテルに着く前に、有名なボリショイサーカスに行き、久しぶりにサーカスを見学しました。空中ブランコで何度も失敗して下のネットに落下する様は、昔みた記憶ではあまりなかったように思いました。
翌日は初日に行かなかったモスクワの主な場所を見て廻ったわけですが、先ず19世紀に建てられた救世主キリスト聖堂、ドイツとの勝利を記念して造られた戦争勝利公園、さらにはレーニン像等々です。午後は再度モスクワから70キロ北西にある黄金の環の一環セルギエフポサードを訪ね、ここではトロイツェ・セルギエフ大修道院に行き16世紀に築かれた城壁内の数々のロシア修道院や寺院を見て廻りました。

さて最終日は、モスクワの南東、モスクワ川にそって広がる自然公園コローメンスコエを訪ねました。16世紀以降歴代の皇帝が別荘を建てて住んだところです。ロシア近代化の父といわれるピョートル大帝の住んだ木造の小屋もそのまま残っていました。
観光の最後はモスクワのクレムリンです。

【クレムリン】
クレムリンといえば、私はロシアの政治の中心場所で、日本の永田町みたいなところと思っていましたが、それだけではありませんでした。勿論プーチン大統領の官邸とか大統領府など政治の中心場所ですが、それ以外に歴史的な建造物や博物館が混在した一角なのです。モスクワ川沿いの高台で赤の広場に面してとりまく赤い城壁の内部全体を指します。

クレムリンとは元々城塞を意味し、そう呼ばれるところはロシアの至る所にあるのです。しかしモスクワのクレムリンはその代表的なところ。赤い城壁の周囲は2235m。所々に望楼の塔が建っています。最も高いものはトロイツカヤ塔80mの高さがあるそうです。赤の広場に面したスパスカヤ塔には17世紀に時計が取り付けられ、今も15分毎に時を告げています。我々はトロイツカヤ塔の入り口から内部に入りました。
 中には左に兵器庫、右にクレムリン大会宮殿、奥にロシア連邦大統領府十二使徒聖堂、その間に大砲の皇帝とか鐘の皇帝が目に付きます。高い建物はイワン雷帝が拵えたイワン大帝の鐘楼。特に中央にあるウスペンスキー大聖堂は歴代の皇帝が戴冠式に臨んだというものです。その他ブラゴヴェッシェンスキー聖堂アルハンゲルスキー聖堂等が並び、まさにロシア文化の最高の粋が集中しているところであり、ロシア権力の中枢が存在するところなのです。そして出口となるヴォロヴィツカヤ塔の近くにある武器庫は武器を展示しているのではなく歴代王朝の宝物館です。80カラットのダイアモンドもここには展示されています。
 
観光客が中を見学している際、ヒョットすればプーチン大統領が出てきて、その姿に接する機会を持つことが出来るかも知れないと、ほのかな期待も持てる環境なのです。しかしその際はセキュリティ関係はどうなっているのだろうかと、要らぬ心配をしながら
3時間ほど中を散策しました。
このクレムリン観光を最後に我々は帰国の途に着きましたが、大国ロシアとしては意外な面が多々ありました。観光地は確かに立派で見るに値するところ一杯なのですが、道行く公共のバスも電車もトロリーバスも、例外なく古い車両です。どれも錆が浮き出ていて今にも穴が開くのではと思えるようなボロでした。道路の渋滞は半端ではありません。広い路面の両側には車が数列も駐車しているので、中央の狭い部分を通らざるを得ないのです。何故規制しないのかと聞くと、道路以外に駐車場がないので規制すると、モスクワでは車は使用できなくなるという返事でした。これで国の経済が果たして上手く行くのだろうかと思うほど、この大国の生活は理解しにくいものでした。

 月収はガイドの説明では、200300US$だそうです。非常に安い賃金で物価も安いのですが、貧富の差が大きすぎ、プーチン政権はこの先どう舵取りをして国を統治するのか、テロの悩みと同様難しい国だという感を抱いて帰国しました。
                                                                 (以上
          ロシアを旅行してVIDEO編はこちらを