操山31会南イタリア吟行記 (PART1)
                       
      松本 X(山麓句会 輝庵) RSK OB

       この吟行記は次の4つのPARTSに分れています。PARTをクリックして頁を変更出来ます。
 1日目〜2日目  PART1                3日目〜4日目  PART2
                          
 5日目〜6日目  PART3                7日目〜8日目  PART4
 
平成10年秋オーストラリアに始まった「操山31会」(岡山操山高校昭和31年卒業生)の海外旅行。以来「カナデイアン・ロッキー」「アメリカ西海岸」「ドイツ・ロマンチック街道とスイス」「北欧三カ国」と年1回恒例行事となって定着。
6回目の今年・平成15年(2003年)は6月6日(金)から14日(土)まで「南イタリア・シシリー島9日間の旅」を楽しんできました。
折からのSARS騒動で海外旅行客激減という不気味な環境も物ともせず敢然参加した勇気ある一行は操山31会会員とその最も親しい友人たちばかり20名。企画発注した旅行会社は昨年にひきつづき阪急交通社。添乗員はもうおなじみの長崎浩子さんです。

  夏の月あすはナポリの海照らせ(輝庵)

自宅ベランダで夏の月を見上げながら旅行前夜の胸膨らむ思いの中、翌日滞在するナポリの好天期待を句にした筆者・輝庵(松本X)をはじめ参加者の中には和庵(安本和志)、晴茶(一色晴美)、芳茶(河原美子)と4人の山麓句会メンバーがいますので、この4人の道中即興写生句を織り込みながら綴る「操山31会南イタリア吟行記」。
佳句・名句はないにしても道中その時々の感動を素早く五七五に纏め上げたその敢闘精神にエールを送っていただければ幸いです。

初日 6月6日(金)成田→ミラノ→ナポリ
               (ナポリ マジエステイック・ホテル泊) 


午前10時。伊丹から空路成田入りした岡山・関西組13名と添乗員長崎さんを最後に福岡空港から到着済みの中原圭子さん、首都圏各地から馳せ参じた6名と、21名全員もれなく集合しました。この伝統的ツアー初参加は、僕は残念ながら同じクラスになったことはないものの大秀才として音に聞こえた国府島幹男君(東京)、一昨年のドイツ・スイス旅行に参加し僕とは丸之内中学1年以来の親友黒住鉄弥君(岡山)の夫人雅子さん、このところ連続参加している晴茶(一色晴美さん、東京)の妹田中朗美さん(岡山)、僕の妻瑞重の友人武田秀子さん(岡山)と彼女の友人東海林朝子さん(横浜)の5人。あとは2回以上毎回参加までの常連15名です。

当初このツアーは関西空港発の予定だったのですが、SARS騒動による減便の煽りを食って成田発に変更。アリタリア航空国際線でミラノ、同国内線で夕焼けのナポリ、さらにバスに乗ってこの夜のホテルに到着したのは現地時間午後11時過ぎ(日本時間翌日午前6時過ぎ)。我が家を出てからナポリのホテルまでざっと25時間。うんざりするような長旅でしたが、晴茶は飛行中、和庵(安本和志君)は着陸寸前の機内から見たナポリの夜景をちゃんと句作していたのでした。
  
  サーズ禍や夏マスクして旅始め(晴茶)
  夏空へ機は二十人の期待乗せ
  雲の峰即席漬けのイタリー語
  胸躍るナポリの夕焼けはじめましてピアチェーレ

  煌びやか夏のナポリの夜景かな(和庵)

 
第2日目 6月7日(土) ナポリ→カプリ島→ナポリ  
(ナポリ マジエステイック・ホテル連泊)


さて、旅行第2日目の今日は午前中カプリ島見物、午後はナポリ市内観光。ホテルの朝食をすませた一行はバスに乗り込み、ナポリ港ヴェレッロ埠頭から高速船でカプリ島マリーナグランデ港に向かいます。船内には我々のほか日本人グループは見られません。いく層もの船室を持った巨大な白亜のクルーズ船が別の埠頭に停泊していました。「コスタ・メデイテラーニア号」。進行方向左手にソレント半島を望みながら船はベタ凪のテイレニア海を進みます。40分後、歌に唄われ日本人にも広く知られたカプリ島が近づいてきました。

マリーナグランデから我々だけ乗せた船がこの島の名所「グロッタ・アッジューラ(青の洞窟)」へ向けて出港しました。軽快なエンジンの響き。低い位置から見上げるカプリ島。切り立ったむき出しの山肌と生い茂ったオリーブ・糸杉・松など緑のコントラスト。山腹に点在する広大豪華な別荘群。かのソフィア・ローレンもこの島に家を所有しているとか。まぶしく輝く海岸では水着姿の観光客の姿も見られました。

   朝凪を目指すはカプリ高速船(晴茶)
   青蒼藍夏のカプリの海の碧
   突き抜ける波の碧色浜日傘

   歌に聞く夏真盛りのカプリ島(輝庵)
  

 青の洞窟に到着。沢山のボートがひしめき合っています。洞窟の入り口は切り立った崖が海に落ち込む所に空いた小さな穴で、縦1メートル、横2メートルくらいしかないものですから小さなボートしか入れません。舳先に添乗員の長崎浩子さん、続いてイタリア人船頭、胴の間に奈良から参加した常連の井上佳子さんと僕、船尾には操山高校へ越県通学し、今は故郷兵庫県上郡町で開業医をしている西脇新五君が陣取りました。洞窟が近づくと船頭は大声と手まねで「全員横になれ」と指示。結構揺れますので寝ながら両手でボートの横縁を掴んでいた僕の手はピシャリと叩かれ、ボートの中に入れろと、手まねで命令されました。寄せては返す波がさっと引いたその瞬間仰向けの船頭は入り口天井に備え付けられた鎖をすばやく手繰ってボートを洞窟の中に導き入れます。洞窟内は意外にも広く高く、小さな入り口から入った強い太陽光線が波間に反射し洞窟内全体が青色に染まって幻想的な雰囲気。船頭たちのナポリ民謡が響き渡ります。入り口近くのボートが青い光の中にシルエットとなって揺られていました。青の洞窟から脱出するタイミングを計っているのです。

  夏斜光揺れるさざなみエメラルド(芳茶)
   船頭の歌声ひびく夏の海

   洞窟の蒼き輝き夏の海(和庵)

   船頭の♪後でチップ~とボート漕ぐ(晴茶)
   洞内を満たして余るカンツオ―ネ
   照り映えるオパールの碧洞の中


再びカプリへ戻った一行、今度はバスでカプリに次ぐこの島第二の町アナカプリに向かいました。左は絶壁、右は海まで続く崖下。狭いくねくねした道をバスは登ります。先ほど小船から豆粒のような車が危なっかしい所を通っているなあ、と見上げたその道路です。
アナカプリに着きました。海抜275メートル。オリ−ブ畑、ブドウ畑に取り囲まれた古代ローマ時代から優雅な避暑地として知られた町。ここから一人ずつリフトに乗って急峻なソローラ山(モンテ・ソローラ)へ。上がるほどに視界が開け、頬をなでる風が涼しさを増して、いい気分です。リフトの架線を支える脚柱ごとに巣立ちしたばかりの子雀がチイチイ鳴いています。人家とてない山腹に猫が一匹緑色の蜥蜴を咥えて立っていました。
蜥蜴はまだビクビクと動いています。

 山猫の蜥蜴咥えてしたり顔(輝庵)

 リフトで上がること15分、モンテ・ソローラ山頂に。麓のアナカプリが手に取るように見えます。海抜589メートル。少し歩きます。目も眩むような絶壁のはるか下、数多のウミネコが「ミョウミョウ」と鳴きながら舞っていました。

   ソローラ山の断崖絶壁夏燕(晴茶)
   坂道や一瞥し去る青蜥蜴

   海猫の声下に聞く夏の島(輝庵)
   岩頭を縁取る白波夏日差し

 ナポリへ帰って中華レストランで昼食を済ませた一行は現地ガイドの案内により、ここで最も有名なスパッカ・ナポリへ出かけました。世界遺産に登録されたナポリ歴史地区の中心をなすところです。とある教会に入りました。正面祭壇の上にあるステンドグラスで出来た大きな飾り窓は松柏をかたどった操山高校の校章に瓜二つ。「ここは操山高校ナポリ分校なんだ!」。みんな他愛もなく嬉しがっていました。

 「『ナポリ見て死ね』って言うけどナポリのどこを見て死んだらいいんですか?」。英会話仲間の肥谷翠さんが突如難問をぶつけてきました。「ウーン」と唸るばかりで即答できません。確かにナポリの街は騒々しく、道には紙くずが散乱し、全体にごちゃごちゃと薄汚れています。大半は満身創痍、埃まみれの小型車が窓を開けて走行。聞けばローマと共にナポリの旧市内は埋蔵文化財の宝庫ですから地下駐車場や高層ビルの建設は法律で禁止されているのだそうです。郊外の車庫付高級住宅に住む金持ちは別にして、旧市内に住む庶民は路上駐車せざるを得ません。バンパーの凹んだ小型車の多い所以です。そこはまた車上狙いの天国。カーナビやエアコン、カーオーデイオなど搭載しようものならすぐ盗まれてしまうので、初めから付けようともしないそうです。こんなナポリのどこを見てから死ねというのでしょうか?古めかしいビルとビルの狭い通りに名物の洗濯物がはためき、三階の出窓から笊を吊り下ろした婆さんが下の行商人と大声でやりとりしていました。

 ナポリはネアポリ(新しい町)と呼ばれていた古代ギリシャの植民市に端を発します。険しい山脈の多いギリシャでは増大する人口問題の解決策として唯一海の彼方に新天地を建設しなければならない宿命を負っていました。リビアのトリポリ(三都市)、壮大なギリシャ神殿で知られる南イタリアのパエストウムとシチリア島のアグリジエント、マッサリアと呼ばれた今のマルセイユ(フランス)、シチリア島のナクソスやシラクサもそれぞれギリシャ系ナクソス人、同シラクサ人が建設した町で、ギリシャからシチリア、マルセイユあたりまでは当時「マグナ・グレアキア(大ギリシャ)」と呼ばれ、一大ギリシャ圏を形成していた史実が「図説・探検の世界史・最初の冒険者たち」(集英社)に詳しく紹介されています。

 さて、バスはポジリポの丘に到着。赤いブーゲンビリア。紫のジャカランタが咲いています。マンションの海側の窓はすべて鉢植えの花で飾られていました。弓なりのナポリ湾、望見すればなかなかに美しいナポリの町並み、遠くかすんだヴェスヴィオ山。
ここでようやく「ナポリ見て死ね」とはこの三点セットのことに違いないと確信し、帰国後調べて見たら案の定正解でした。

この後ナポリ考古学博物館に入り、12世紀ノルマン王によって建てられた「卵城」を見て、2泊目のホテル「マジエステイック」へ帰着。この日の夕食はリゾット、舌平目、パン、デザート。1テーブルに1本ずつワインが付いていました。

   ナポリ見た未だ死にたくはなしビルラ飲む(輝庵)
  
                                  
                                                 
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