お知らせ

                                        OHK OB 渡辺 昭朗
 先日の放水会で話題となりました虐殺や感情についての雑感です。

『侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館』

1937年12月日本軍は南京に侵攻し南京城を占領した。そのときに市民に対して無差別大虐殺を行なったというのが中国側の定説で、日本軍の残虐行為を後世に伝えるために造られた。人骨の山の一部や生存者の証言、写真、旧日本軍の武器などが展示されていて、日本人による碑や記念樹もある。(旅行誌転用)希望しなければ観光コースには入らない。入場料14元。虐殺要因のひとつとして、日昼は歓呼で迎える人々の一部が、夜はゲリラ化し日本軍を襲撃、悩ませた。
広場の壁に書かれた− 前事不忘  后事之師  以史為鑑  開創未来

『トゥール・スレン博物館』(カンボジァ・プノンペン)

1975年4月から9年1月まで、3年8ヵ月に及んだポル・ポト政権下では、全土で無謀な社会主義改革が強行された。それを妨害する反革命分子(スパイ)とみなされた人々は家族とともに次々捕らえられ、厳しい拷問を加えられて尋問されたあと、処刑されていった。その粛清の舞台のひとつとなったのがトゥール・スレン刑務所で、現在ポル・ポト派の残虐行為を後世に伝える博物館として公開されている。元高校の校舎を転用した4棟の建物。ポッント残された鉄ベットが生々しい尋問室、収容された人々のおびただしい数々の写真が部屋の壁一面に貼られた室、狭い独房、雑居房跡、残酷な拷問の様子を描いた絵や器具などが展示されている。約2万人が収容されたが、そのうち生還できたのはわずかに6人。残虐されたのは農民、技術者、僧侶、教師、学生などあらゆる職業の罪なき人々だったという。(旅行誌転用)施設維持費として2US弗。
高田さんの慰霊祭

昨年12月、93年5月4日文民警察官としてPKO活動中に武装集団に襲撃され死亡した県警の高田晴行さんのお母さんをグラウンド・ゴルフ仲間6人と同行、大使館の世話で慰霊碑のあるお寺で慰霊祭を行ない、マラソンの有森さん主催のアンコールワットハーフマラソンの救護班を夫婦で手伝った。

またグラウンド・ゴルフ仲間と台湾の鳳山、高雄、韓国の陰城、済州道で交流会に参加したが、現地の人達で国民学校や、日本の帝国大学を卒業、医者、教育者として活躍されている方々と会った。日本語も達者で、夜カラオケで日本の歌を楽しんだ。台湾では台北の旧空港を松山空港といい、台中近くに岡山という地名があり、明治時代北海道と同じく日本から台湾開拓に出かけ地名を付けたといわれている。台湾の人達が親日なのはこういった歴史があるからと思われる。
               
          2005年10月