山歩き・歩こう会合同
平成17年度<鬼の城>例会

民放クラブ岡山支部「山歩き会」・「歩こう会」は、平成17年春の合同のイベントとして4月26日(火)、総社市奥坂の古代山城「鬼ノ城」にハイキングを試みました。
民ク岡山「歩こう会」としては、平成13年に次いで2回目の鬼ノ城巡りです。

(参加者)

<コム集合組>(いずれも順不同です)
妹尾、豊田、太田、間野、芦原、竹原、小谷、桐野、沖見、尾家、藤江、藤田、中西、田淵、立花
横井(立花さんの友人)、鍋島さん(同)、吉岡、松田

<現地集合組>
井垣、亀山、川崎、今城、秋山、杉原
 
 参加者は総勢25名。一行(19名)は、5台の車に分乗して9:00にメディアコムを出発。現地砂川公園集合組(6名)と合流。このところ、西門復元や諸設備の整備で一気に観光の人気スポットとなっただけに、それまでは幅員が狭く、車の往来に難渋していた登山道がよく整備され、あっという間に山頂駐車場に到着。

この日は、吉備路観光センターに依頼して来ていただいた観光ボランティアーガイドのベテラン池上宣雄さんの名解説で、鬼ノ城の要所要所を巡りました。主な角柱は、カナダ産の米(ベイ)ヒバを用いたという西門の威容にまず魅せられる。復元工事中に出現したという原石で敷き詰められた敷石や、一部は創建当時のままの姿で遺されている石垣などに、約1300年の古代人が挑んだ工事風景が蘇ります。
西 門

今回復元されたばかりの西門の他に、角楼跡、南・東・北門跡、第1から第5(最近見つかったものを含めると6個所)の水門跡など、標高400m、周囲約2.8kmとされる擂鉢上の山頂のほんの1部ではありましたが、池上さんの、簡にして要を得た解説に感心して肯くばかりでした。

山頂で、それぞれ持参の弁当(見渡すところ、大半がコンビニの握り飯でありました)で腹ごしらえ。外周をぐるりと回って、次なる目的地「岩屋寺」、同所の「鬼の差し上げ岩」という巨岩(これはまた見事な陰陽石ではありました)を見て、更に文武天皇の皇子の墓といわれる「皇の墓」まで足を伸ばしました。

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池上さんのガイド音声(mp3)

(1分素材)
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それにしてもこの日は、暑くもなく寒くもなくの正に絶好のハイキング日和。展望台からは、総社平野はもちろん、遠くは水島工業地帯、さらには瀬戸内海まで見通せる大パノラマに一同息を呑む思いでした。
岩屋の前で あせびの花

帰路、秋山孝一さんお馴染みの珈琲ショップ(「モカ」)に立ち寄り、それぞれお好みの珈琲を注文。暫しこの日の余韻を楽しんで歓談した次第。

 余談ながら解説によりますと、鬼ノ城は、日本書記などの古代の史書には一切の記録はなく、謎の古代山城の一つとされ、歴史家などの推測によれば、大和朝廷が天智天皇2年(663年)白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れた後、唐・新羅連合軍の侵攻にそなえて築城した朝鮮式山城の一つではないかとされています。昭和46年にノートルダム清心女子大の高橋 護教授が、山火事の後の現地調査で発見した敷石と水門群などで朝鮮式山城と認定。同51年同教授の論文発表、その後RSKの学術調査などを経て、昭和61年(1986年)に国の史跡に指定され今に至っています。(文責・松田) 

(追伸)なお、当日から翌日にかけ参加者の中の何人もの方から感想や何枚もの写真をメールで送っていただきました。有難うございました。写真はそれぞれの方から送っていただいたものばかりです。恥ずかしながら、私のデジカメには肝心のCFが入っていなかったことも報告しておきます。   (写真提供・田淵 吉岡 亀山 井垣)  (録音・桐野)