ギ リ シ ャ を 旅 し て 

         平成13年3月24日〜31日   亀山寿志(RSK-OB)
 3月24日から31日の8日間、ギリシャに旅行してきました。関空からAF(エール・フランス)でパリ経由のアテネというルート。阪急トラピックスのパックツアーです。同行したのは大学時代の友人で、写真が趣味の元岡山県の役人だったT氏夫妻。家内同士も高校時代の同級生とあって、お互いリラックスした旅行でした。
 アテネにはパリ経由で17時間。アテネ エリニコン空港に到着すると、空港内に野良犬がゴロゴロ寝そべっているのにまず吃驚。
 
ホテルはゼウス神殿のすぐ近く、ハドリアヌス門の向かいにある中心街でいい場所にありました。だが、3つ星クラスだからかエレベーターに乗ると、ドアは手で押し開け,中にドアはない。動き出すとむき出しの壁が直接下へ移動する。さすがに古いギリシャだと感心しました。窓から見えるゼウス神殿は2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスの時代に完成したコリント式の石柱群で、104本中の15本の柱が今も残っています。
 
 ところで着いた翌日は3月25日。この日はギリシャの独立記念日とあってナショナルホリデーです。昨夜静かだったホテル前の大通りは何と朝から一切の車の通行を遮断して、軍事パレードの場と化していました。ギリシャにこんなにも軍隊の大部隊があったのかと吃驚するほどの装甲車や戦車の縦列です。このような様子を見ることの出来る機会はこの日だけ。おまけにこの日は3月の最終日曜日とあって、サマータイムの始まりで時間が1時間早くなる日でした。我々は昨日来たばかりで時間がどう変わろうと今までの習慣がないので、関係ないのですが、所々街頭にある時計の修正が出来て無くて、とまどいました。
 アテネは言うまでもなくギリシャの首都、ギリシャ1000万強の人口の中、半数近い400万強が住んでいるところです。そしてギリシャの歴史といえば、ギリシャ神話が入り込み、どこからが史実で何処までが神話なのか分からないようなところです。例えばアテネの最初の王は下半身が蛇であったケクロプスといわれ、アテネの守護神を選ぶのにも海の神ポセイドンと知恵の女神アテナを競わせ、槍で岩を突いて海を作ったポセドンよりも、槍で大地を突いて実を付けたオリーブを作りだしたアテナを選んだと言われます。アテネの名前の由来でもあるとか。
アクロポリス

 その守護神アテナを祀って出来たのが、ギリシャ古代遺跡のハイライトともいうべきパルテノン神殿です。アクロポリス(高い丘の都市国家の意味)と呼ばれる小高い丘の上に建ち、その場に立つと思わずはっとするほど重量感を感じます。古代アテネを象徴するもので、BC438年に出来たものだそうです。何の飾りもない剛健な石柱群ですが、当時は彫刻像やレリーフで飾られ、一大芸術作品だったと言われます。他にもBC408年に出来た古代建築エレクティオンやアクロポリスへの参道に建つ前門としてのプロプライアなど何れも石で出来た建物。そこからはアテネ市内の全貌が見渡され、このアクロポリスがアテネの象徴だと名実共に実感したような気分でした。
プラカ地区

 その麓には、プラカ地区と呼ばれるアテネきっての繁華街があるのですが、19世紀頃の家並みがそのまま保存されていて、道は狭く無造作に入り組んだところです。しかしアテネの多くのレストランや店が建ち並び、昼夜を問わず観光客の絶えないところでもあるのです。道が狭いこともあってか、車は一切シャットアウト。ゆっくり歩けば実に楽しいところ。
 ギリシャではレストランのことを「タベルナ」といいます。食べに来て食べるなとはと、日本人とっては甚だ奇異な感じを受けますが、これが各国でのいろいろと面白いところ。そのタベルナがあちこち所狭しとばかりにあり、ギリシャの伝統料理が味わえます。我々は自由時間にここで昼食に、ギロビタを試してみました。元々はトルコ料理らしいのですが、肉を積み重ねて串に刺し、それをぐるぐる回しながら焼いて、削って皿代わりの丸く広げて素焼きにした皮にのせ、他の野菜と一緒に食べるのです。一寸お好み焼きに似たものですがこれが美味い。ギロとは肉でビタとは皮を意味するらしい。他に伝統料理のムサカと呼ばれる肉とナスのグリル、それに山羊の乳で出来たフェタサラダ、ほうれん草のパイ等で、腹一杯。ビール3本と水を加えて4人でチップ込みの12,000ドラクマ。約4千円弱ですので一人900円程。ギリシャは物価が安いのです。
 このプラカでは夜分民族舞踊やベリーダンスのディナーショーもあり、各国の旅行者が集まって踊りや音楽に興じて夜更けまで楽しんでいるようです。我々が行ったときはアメリカの中学生の修学旅行生もいて、ベリーダンスに眼を凝らしていました。
リカヴィトスの丘

 アテネには標高273mのリカヴィトスの丘があり、頂上に白いギリシャ正教の教会があるのですが、そこからの景観は最高。ケーブルカーもあり、夏の夕涼みの場所としてアテネっこも大勢集まる所ですが今はオフシーズン。でも昼間でも恋人同士がしっかり愛を確かめあっていて、すぐ傍を通っても、全く意に介されない。この辺は日本と感覚的に全く違うところ。だが頂上からの眺めは素晴らしく、恐らくここに勝る景観は無いでしょう。アテネ市360度のロケーションは見事でした。
エーゲ海クルーズ

 アテネの南西10キロにある、ピレウス港からエーゲ海クルーズに出航しました。アテネのあるアッティカ半島と
ペロポネソス半島に挟まれたサロニコス湾なのですが、瀬戸内海と違って波は高く相当船はゆれました。
 観光客は600人ほどですが、半数は日本人。
 エギナ島、ポロス島、イドラ島と3島を巡って1日を過ごしたのですが、海と空の色が全く違います。そして地中海気候とはこのようなものかと思われるほど暑い。3月末とあって、寒いのが苦手な私は冬衣装を主に用意して行ったのですが、どこもギリシャは初夏の気候。イドラ島では泳いでいる若者も多く見かけて驚きました。各島ともギリシャ特有の白い壁と赤い屋根を基調にした家並みが建ち、ロバを運送の基盤にして一切の車をシャットアウトしているイドラ島。ペロポネソス半島の目の前に位置したポロス島。ギリシャ独立戦争中(1827〜1829)には一時的に首都にもなったというエギナ島。それぞれ特徴を持った美しい島です。
 特にエギナ島のアフェア神殿はアテネのパルテノン神殿よりも幾分古く、この神殿とスニオン岬に建つポセイドン神殿、それにパルテノン神殿の3神殿が等間隔に建つ三角形を作り、その頂点の一つでもあるのです。ここから海を越えてアテネのアクロポリスの丘がビデオのズームでようやく捉えられるほどの距離に見えました。
スニオン岬

 アテネから70キロ先のアッティカ半島の先端にスニオン岬があります。そこに建つ海の神ポセイドンに捧げられたというポセイドン神殿は、夕陽の景色が有名。我々が行ったときは生憎の曇り空で、その景色にお眼にかかることは出来ませんでしたが、その雰囲気だけは感じ取れました。16本の柱の中の1本には過去の人々の落書きが残されているものがあり、英国のロマン派の詩人バイロンのものもあるということでしたが、どれがそうか見つけることはできませんでした。
 アテネではこの他、世界的にこれほど充実した博物館は少ないといわれる国立考古学博物館やフィロパプスの丘、あるいはシンタグマ広場などで、歴史の重みを味わいました。


デルフィ》 

 アテネから180キロほど西にあるデルフィの村を訪ねました。ここは古代ギリシャの宗教の中心地として栄えたと
ころ。ここにあるアポロン神殿は、やはり神話や伝説の世界にその起源を持っています。ディロス島で生まれたゼウス神の息子アポロン神が、この地で大蛇ピュトーンを射殺し、大蛇に代わってピュトーン神となり、巫女ピューティアの身体を借りて神託を授けたという場所です。その神託は当時都市国家(ポリス)のリーダー達の指導理念ともなり、評判を呼んで、BC1000年頃からビザンティン帝国の381年まで続けられたと云います。そして多くの都市国家が、授けられた神託の礼として献上したという宝庫と呼ばれる建築物の跡が数多くあります。そしてここは世界の中心地として考えられたようで、大地のへそと呼ばれ、象徴としての尖った石が置かれています。(写真はデルフィ博物館所蔵)
メテオラ

 ギリシャの中北部、デルフィから220キロほど北のメテオラに4〜500mの奇岩がいくつも聳えている場所があります。まるで、中国桂林の丸い山をもっとゴツゴツさせているような山で、ニョキッと立つ奇岩はトルコのカッパドキアを想像させます。
 その頂上に修道院が建っているのです。14世紀にトルコ勢力の支配下でキリスト教弾圧から逃れて、この地に立て篭もった修行者達が築いた修道院なのです。
 最盛期の15〜16世紀には24もあった修道院は今は6つしか残っていません。だがこの地がユネスコの世界遺産に指定されてから,一気に評判を高め多くの観光客が来ているところなのです。我々が行ったのは標高が尤も高く600mというヴァルラーム修道院と尼僧のステファノス修道院。ここでは今も修道士たちが厳しい戒律の下に共同生活を送っているそうです。
拝観するのにミニズボン、ミニスカートは許されず、面白いことに女性のズボン姿も認められていません。ズボンの場合は500ドラクマで貸しスカートが用意されていました。

 ギリシャに滞在したのは僅か6日間。それにしましてもギリシャを旅するには、色々と歴史の勉強をして行かないかぎり、行った甲斐がありません。といって事前には中々覚えられないもの。帰国して再度その古代史の書物に触れるとよく分かるような気がしました。

 帰国の際はアテネの国際空港は来たときと変わり、3月29日にオープンしたばかりの新国際空港エルフテリオス・ヴェニゼロスからのフライトとなりました。オープンして2日目の利用でした。オリンピック発祥の地ギリシャで、2004年に開催が決定しているアテネ・オリンピックに向けて、今ギリシャは色々とリニュアルし変わって行っているのです。次回来ることがあればもっともっと変わったギリシャを見ることになるでしょう。
亀山 寿志(RSK・OB)