ヒマラヤ讃歩

私には何時かは行きたい!いや何時か必ず行くんだとイメージしていたヒマラヤだった

                           2001年10月 RSK・OB  坂川 弘祐

綺麗な町シンガポールに一泊して、ネパールの首都、ほこりっぽい町カトマンズへ着いたのは9月28日、明日からのトレッキングに備えストック(杖)を買い求め、ネパール料理の夕食たらふく食べ、翌日のポカラに思いをはせながらグッスリと寝入っていました。
憧れのポカラへ着いたものの、ゆっくり景色をめでる間もなくバスに乗る、このバスには車掌らしきものが乗っているが、ドアは閉めずに手を振りながら どけどけ!と道行く人たちに叫びながら車は走る、驚いたことにこの車掌の所にクラクションのスウィッチがある、運転手と車掌の二人が鳴らすクラクションのうるさいこと!
目的地のバス停周辺には、布一枚に土産物を広げたチベッタンのおばさん達、いろんな国の人々が盛んに値切っている、ここでツアーリーダーの言葉を思い出す、「買い物をして、相手がにこやかに有難うといったら 負け、握手をしてきたら最悪、また怒って投げ出すように品物を渡したら 勝ち、上手な買い物の証拠」土産物を買うのもなかなか手がかかりそうだ。
チャンドラコットへ着いたが、あいにく雲に隠れて山は見えず、 いよいよ何年ぶりかのテント生活のスタートだ、しかもヒマラヤ山中、一体どんなことになるのだろうか、しかし目の前に現れたのはフライシート付き(二重屋根)のグランドシート一体型の新しいドーム型テント、二人がゆったり寝られる広さ、シュラフ(寝袋)とインナーシーツにマットまである、それも有り難いことに全てシェルパが設営してくれる。
シェルパの設営したダイニングテントでキッチンクルーが作った食事をランプの灯りで食べる、これがヒマラヤ山中の生活なのだろうか?想像を超えた豪華さだ。  
矢張り夜は冷える、早々にテントに入り、パンツひとつになってシュラフ潜り込む、ホカホカとしてアッと言う間に寝込んでしまう。
翌早朝テントを抜け出して見ると、黒々と沈黙したアンナプルナ山群の横で、薄明かりのマチャプチュレ(有名な山)がなんと首をかしげて私達のテントサイトを覗きこんでいる、シャッターを押すことも忘れ、私は今回の旅の大きな目標の達成感を味わっていました。
今日は行程中、最も長時間の登り(標高差約1000m)体力に も一つ自信のもてない私は、
出来るだけ前の方を歩き、途中のお茶屋さんでは熱いお茶でのどを潤すことにする。
ふうふう言いながらようやく宿泊地ガンドルンに着くと、早速電話屋さんを見つけ、我が家へ体調OKの連絡をする、アフガンは未だ戦争になっていないようだ。 
ガンドルンの朝、徐々に黒い山稜が現れる頃、早朝の「佛教の行」だろうか山裾から湧き上がるようにご詠歌のような歌声が聞こえて山々の静けさを強調する、やがてご来光と共にアンナプルナ・サウスが圧倒的な迫力をもって眼前に迫る、まぎれもなくここはヒマラヤ山中だ。
トレッキングに出て4日目、タダパニを出て、デオラリ峠を越える頃、数日来続いて来た早朝から午前中は晴れ、午後は曇ると言ったパターンがくずれ、昼食後から小雨模様となる、霧の向こうに見える筈のダウラギリを皆でイメージしながら尾根道を歩くはめになり、ダウラギリを見ながら馬に乗って尾根道を行こうとしていた、密かな私の目論見は完全にオジャンになってしまったのです。
その日の泊地ゴラパニはネパール国の1級国道?「ジョムソン街道」の要衝だけにかなりの町です。
夕食前のひととき、キャンプサイト近くのレストランへ行き、例によって厨房の方へに潜り込み・・・・今回の旅で、山中の村では私は全てカマドの前で地元の酒ロクシーを飲んでいました、1杯10ルピー<15円>で飲めるのです、・・・・なんとそこには片言ながら日本語を話す娘さんがいたのには驚きでした、言葉と言えば学校へ行っている子供達に
英語は?と聞けば 殆どの子がイエスと返事がきます、現実に話せるかは別として、これも驚きでした、ネパールは貧しいが故に、他の課目と別に、生活に(食べる為に)必要な英語を先ず教えるのだろうと。
翌早朝 4時からこの旅最高の展望、プーンヒルへと登る、1時間程の登りが結構きつい、朝食前で腹がへってるのだろうか、疲れがたまって来たのだろうか、それでも夜明け前と言うより真っ暗なうちに頂上に着くことができた。
やがて夜明けと共にいろいろな国の人達、数百人が登り、集まってくる、そして迎えたご来光と共に全員が一斉に歓声を上げる、 洋の東西を問わず山のモルゲンロートは人々に素晴らしい感激を与えてくれる瞬間だ。
目の前には、正に「白き神々の座」、4000mの絶壁を見せるダウラギリ主峰、ニルギリからアンナプルナ山群とマチャプチュレと360度の眺望をほしいままにする。
キャンプサイトへ戻って、朝食の握り飯の味は今でも忘れられないものになった。
最後のキャンプ地ヒレを後にしてナヤプールからバスに揺られ、ポカラのホテルに着くと
なにはともあれバスルームへ突進、バスタブは無いが、よくしたものでもしバスタブがあったら、暫くは出られないことになっていたかも知れません、シャワーで1週間の垢を思いきり流す快感、そしてトレッキングは終わったのです。
翌日のペワ湖の舟遊び、カトマンズへ帰ってマウンテンエアによるエヴェレストへの遊覧飛行や寺院巡り、チトワン国立公園での象の水浴び(象の鼻水を人間が浴びるんです)どれをとっても、私の人生に忘れ得ぬ大きな思い出を創ってくれました。
喧騒と不潔、ほこりにまみれた街カトマンズ、異国の旅は初めての体験が多いのですが今回の旅行中に感じた今までにない奇妙な感覚・・・・生と死のさかいが無くなったような不思議なものを感じ、危うく{はまり込み}そうになり、あと1週間ほど滞在していたら、日本へ帰って来なかったかも知れません、私にとってネパールのカトマンズとはそんな街でした。 ひょっとすると怖いですね?!
でも私は今日本で健康に、ごく普通に生活をしています。
                           (岡山支部情報紙 第48号掲載分)
     露天の土産物売    カトマンズ

                ネパールの子供達と

キャンプサイドでの朝食、後に
みえるのはアンナプルナサウス

ガンドルンの村(第2次大戦で勇名をはせたグルガ族が住む 
標高1951m)からアンナプルナ山群の南峰(7219m)を望む

             村の飲み屋さん

                   名峰マチャプチュレ

              飛行機から見たエベレスト(中央の山)

   火葬場 (台の上で焼いて前に流します)

                             
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