平成20年中国民放クラブ     山口大会

              大会(初日)報告
 今年度の「中国民放クラブ山口大会」は、11月13日(木)から2日間の日程で山口市阿知須の宇部アジススパホテルを会場に開かれました。岡山支部13人を含め会員58人、来賓2名の60人が出席。
 今年KRY山口放送を退職し、本会に入会したばかりの江口雄二氏が司会進行を務め、山口支部花田次郎支部長の歓迎のことばで大会が始まりました。中国民放クラブ堀口 勲会長の挨拶に続いて、来賓の山口放送社長岩田幸雄氏が、新人報道マン時代のエピソードを交え山口自慢で祝辞に花を添えました。
 この大会お決まりのアトラクションは、地元山口鷺流狂言「鬼瓦」の上演。短くもなく長くもなく、退屈させないテンポで満場の笑いと拍手を受けていました。
 着席自由の円テーブルに、地元特産ふぐ料理が登場。飲み放題ながらいかんせん、会を重ねるごとに歳も重ねていく会員各自、ほどほどに飲んで(もちろん例外はありますが、)話に花を咲かせました。 
 大会の締めは、次回大会を受け持つ岡山支部から菅田一郎支部長が登壇。お得意のジョークで会場を沸かせ万歳の音頭をとりました。
 終了後もロビーに陣取って旧交を温めるグループもありましたが、大方は翌日のエクスカーションに備え、早々と部屋に引き上げていきました。
            (以上文責・松田通男)
  
2日目・エクスカーション<観光の部>報告
 2日目、「観光班」は総勢28人(内岡山支部6人)。午前9時に貸切バスに乗り込みホテルを出発。目指すは、下関市阿弥陀町の赤間神宮。源平最後の壇ノ浦の合戦で祖母の二位の尼に抱かれて入水した安徳帝を御祭神とする由緒正しきお宮です。神社の隣地赤間関阿弥陀寺境内には、宮内庁管理の御陵があり、安徳帝が埋葬されています。
 一行は神社の神殿の奥まで案内され、神官のお祈り、太鼓に合わせた巫女の舞いに続いてお祓いを受けました。全員頭の上で受けるお祓いに、神妙な面持ちで頭(こうべ)を垂れたのは言うまでもありません。
 続いて唐戸(からと)レトロ地区を散策。赤レンガ造りの旧英国領事館を初め日本最古の現役郵便局舎など明治建築の建物がずらりと並んでいます。童謡詩人・金子みすずが母の再婚先である当地・下関市南部(なべ)町に移り住み、働きながら512編もの詩を書きつづり、結婚、出産、そして若くして終焉を迎えた地であったのです(浅学ゆえに、みすずがこの地に縁があったことは、ここに来るまで知りませんでした)。
 楽しみの昼食は、ふぐ料理の老舗「喜多川」。名物「釜飯」は正に美味でした。無礼講で、ここではビールや日本酒の熱燗が卓上に並びました。但し、飲み物は個人負担であったことを付け加えておきましょう。
 昼食の後は、唐戸魚市場の見学です。もちろん業者向けの卸売り市場ですが、一般市民はもとより観光客にも開放され、直接買い物ができるという全国でもユニークな市場として知られています。ここで驚かされたのは、魚の卸業者の店頭に「にぎり立て」の新鮮な握り鮨が並べられ、割安値段で販売されていたことです。どの店も鮨屋風のカウンターではなく、魚を並べている店頭のケースに、ところ狭しとトロやあぶり魚が並べられているのです。
 残念ながら、ふぐの釜飯で腹を一杯に膨らませてきたばかり。ここは目の保養だけにとどめて、荷物には軽めの「干物」を、それぞれ女房殿の土産にと買い求めたのでした。
  そして最後のコース。ご存知「巌流島」へ快速艇を走らせました。言わずとしれた「武蔵・小次郎決闘の島」です。海を隔てて、三菱造船下関造船所の大型ドックが目を引きます。
 島には、武蔵&小次郎の決闘場面を伝える吉川英治、村上元三両大御所ゆかりの説明板も設けられ、それぞれお互いの胸に、遠い昔のすさまじい決闘場面を蘇らせたことでした。
  
 資料によると、この他にも下関唐戸周辺には、幕末に高杉晋作ら奇兵隊に資金援助をした回船問屋が立ち並んでいた南部(なべ)町(レトロ地区の一部)、初代総理大臣伊藤博文夫妻の居住地などもあり、なかなか見応えのする所でした。
2日目・エクスカーション<ゴルフコンペ>報告
  中国民放クラブ山口大会ゴルフ会が去る11月14日(金)宇部72カントリークラブ万年池東コースで開催されました。岡山支部からは、菅田支部長他計7名が参加し、加藤紀臣氏がグロス95HDP21.6、ネット73.4で優勝しました。(秋山孝一 記)

さて来年は岡山大会。メイン会場、エクスカーション(ゴルフ・観光)の選定など早めにスタンバイの要がありそうです。
                    (文責・松田通男  HP制作・田淵守)