平成22年中国民放クラブ広島大会 観光
歴史の町鞆の浦散策
 鞆の浦観光は総勢18名(内岡山支部、沖見、菅田、杉原、妹尾、田淵)で行った。
 鞆は瀬戸内のほぼ中央に位置して内海の潮の干満の分岐線にあたる。内海を航行する多くの船はこの潮に乗って
 の航法であったので”潮待ち”をこの鞆で行った。歴史上の舞台として度々登場する。
                          いろは丸展示館前で記念撮影
いろは丸は坂本竜馬と海援隊が乗った機帆船が紀州藩の軍艦と鞆沖で衝突、沈没した。
10時過ぎ鞆の浦に到着。史跡めぐりガイドの案内でまず”万葉の歌人、大伴旅人”むろの木歌碑の前で説明を受けた。
ここは海であったが昭和35年代に埋め立てられた 対潮楼石垣、鑿の跡から時代が分かる、刻印も各種
対潮楼から弁天島を望む、鞆の浦で一番の良い景色。朝鮮通信使が毎回宿泊した所で、日本で第一番の景勝として「日東第一形勝」と賛辞を書き残している。いろは丸事件のとき坂本竜馬が紀州藩の重役と交渉した場所といわれる。
  仙酔島に通う渡り船 ”平成いろは丸” 対潮楼に坂本竜馬も西郷隆盛も写った写真がある。西郷隆盛の写真は現存しないと言われているが???
   鞆の津の商家 坂本竜馬はここで”いろは丸事件”の賠償交渉を行なった
雁木、江戸時代に築かれた船着場の石段、満潮、干潮にかかわらず船荷の積み下ろしができた。 常夜灯、江戸時代の灯台、港の常夜灯としては日本一である。四国からその火が見えたらしい。
港を取り囲むように立ち並ぶ商家と浜蔵、その中で特に目を引くのが「太田家(旧保命酒屋)」の主屋と土蔵群。
 太田家住宅は平成8年から6年間かけ保存修理が行われ、屋敷構えは江戸末期から明治時代初期の姿に復元
整備された。保命酒は餅米を主原料に、粳米、焼酒、16種類の漢方薬を使って醸造した薬種。鞆の名産品である。
岡本家長屋門、明治になって福山城から移築した建物 尼子氏の武将、山中鹿介の首塚

11/12日エキスカーション ゴルフコンペ      観光の部、報告とHP作成 田淵守(RSK OB)