ボランティア活動

「老いのゆくえと自分さがし」スウェーデン紀行(余録1)

〜 高齢者介護の現場を訪ねて 〜   妻 井 令 三

素人の名カメラマン
「もう紀行連載は終わるの?」という会員の方の声にそそのかされて多少の心残りを余禄として記述する事にした。折しもこの旅のビデオカメラマン役を懸命に努められたきのこエスポアールの武田和典さんが、編集録画されたVTRが届き、改めてその気にもなったものでもある。
この武田さん介護福祉の世界では、今をときめくユニットケアの提唱者で、既に有名をはせている人であるが、いたって謙虚な人柄である。しかし、生き方や仕事の話になるとまさに哲学者に変身する、いまどき稀な情熱家でもある。遠い福島の特養から岡山の施設へ転身されてまだ間がない方。ビデオカメラの扱いは全くに素人である彼に、TV局に居たというだけでカメラ操作などしたことのない私が、日本を発つまでの道中のつれづれに撮影の基本話を知ったかぶり風に話したものである。「何を撮るか絞る事」「手ブレを起こさぬよう努める事」「やたらとパン(カメラを横に振り回す)をしない事」と申し上げた。出来上がった映像の確かさ見て驚き、改めて旅の名残を反芻させられたのである。そういえば、旅の道中彼はいつも裏方に徹し何処に居るのかわからぬ風情で目立たなかった。それだけでも一級のカメラマンの素養があるといわねばならない。いや、仕事というものはその役割をきちんと自覚する原則から出発する事を、彼は最初から実践されたに過ぎないのであろう。     
旅の最後の晩餐で、旅慣れたた同行の矢野女史がいみじくもいった。「武田さんご苦労さん。一番のお疲れ役を全うされましたね・・・!」と・・。人は人の動きと様を良く見極めているのだ。
    公園で陽光を日長に楽しむ若者グループ

元気な音楽療法士ブリギッタさん
 緩やかな丘陵の農村の大きな牛舎を構えた一軒家に立ち寄った。そこが痴呆症や言語障害者の音楽療法で著名なブリギッタさんの自宅であった。この方スウェーデン人らしからぬ出迎えぶりで、ラテン系の人かと思われるぐらいの明るさなのだ。控えめで柔和なご主人とは対照的。このご主人とご子息夫婦が46頭の親牛と50頭の子牛を飼育され、農業も営んでおられるそうだ。早速、自家製のヨーグルトやジャム・ケーキなどでお茶のもてなしを受けての、自給部分をしっかり残した農村生活の一端を味わわせていただく。
さて、彼女は子育てが一段落した30歳半ばから改めて勉強し直し、音楽療法士の道に入られたという。自分で開発作成した3弦や1弦の楽器、さらには独自のパイプ笛など、誰でも始めてでも使える楽器を使い、実演を交えつつ音楽療法の持つ役割と効果を説明された。音楽には、言葉を失った人にも歌として言葉を呼び戻す力があり、リズムとハーモニーの織り成す営みは、人の生きた感性を開かせるものがあるという。そして、それは画一的なものでなく夫々の人に独自の好みの領域があることを配慮してやるべきだとも。また、色彩や絵画についての造詣も深く、岡本太郎デザイン風の衣装を着て痴呆症の人と向き合うそうだ。白衣は最も痴呆症に恐れられる悪い色で、地味な着物も反応が薄いと言う。痴呆になっても感性の生きた部分で生きる喜びを引き出す力の追求に明るくパワーあふれる姿勢に圧倒された。そして、彼女自身の持つ人間に対するかけがえのない愛着と情熱自体が良いケアーへの重要ファクターであるとも感じさせる出会いであった。
   

生活大国スウェーデン
 帰国後、ある施設の偉い方が数年前のスウェーデン訪問の経験に照らして、「あの国は共産主義の国ですからなあ。特殊で余り参考になりませんなア・・・」と云われたのに驚いた。自動車のボルボ・サーブ、さらにはベアリングや工作機械などに世界一流といわれる産業を有する立派な資本主義国なのであり、王室さえ厳然と残っていることをご存知ないのであろうか。また、別の人は「税金が高いのだから"福祉国家"にできたのだろう」という特別視する反応もあった。
確かに第二次大戦後の歴史的変遷の中で社会民主党政権が「最低賃金」や「年金制度充実」などの生活安全保障を優先する基礎を切り開いたともいえるが、その後企業利益優先の保守党政権も誕生するなど、さまざまな政権の推移があった国である。しかし、それは投票率80%を常に超える政治意識にも見られるように、国民の政治家を選ぶ厳しい選択の目の力が大きく反映している事を忘れてはなるまい。情実や表層的イメージ、更には業界利益に流されない生活者としての"個"が確立している生き方の集約でもある。
 帰国後、スウェーデンに付いての見聞や感想を整理するために、この国についての数冊の書籍に目を通した。その中で、竹崎孜氏がこの国を"生活大国"と位置づけられていることに"わが意を得たり"との感慨を持った。(「スウェーデンはなぜ生活大国になれたのか」あけび書房1999年初刊)
 その中で、この国には「国民全体を含んだ政策の中に"福祉学"という研究分野は存在せず、市民にとっては日常生活上の常識・知識でしかない」とまえがきに記されている。いわゆる"福祉"ではなく国民・市民にわかり易くシンプルで利用しやすい制度構成を心がけている"社会保障政策"換言すれば"生活者安全保障政策"といった考え方の上に成り立つ"生活大国"なのだ。

国民所得に対する社会保障給付比は・・・
国や行政の生活者に対する姿勢のリトマス試験紙になる指標の1つに国民所得に占める国民への社会保障給付費の比率がある。その国の進んだありようと日本の差を知りたくて、主要国の比較を調べてみると予想以上の格段の差があることに驚いた。いわゆる年金・医療・老後保障など税金の使い方の配分にかかわる問題である。
日本  米  英  仏  独 スウェーデン
15.2% 19.4% 27.2% 37.7% 33.4%  53.4%
(国立社会保障・人口問題研究所調べ、1993年度値)
※1995年度値の日本は17.0%
※  日本の病院や福祉施設の対患者職員比率一つ取ってみてもその低さゆえに激務となっているはずだとうなずける。それだけでなく、わが国では高齢者医療費徴収増や適用年齢の引き上げなどの国民負担増が目論まれている現状がある。世界第2位の経済力を持つ国にとなったといわれながら、それほどの生活実感が持てず、老後の"将来不安"を抱えて営々と貯金をしなければ安心できない秘密がここにあることに思い至る。
       絨毯まで敷いてある施設の居間

 戦後、アメリカをモデルに文明・経済優先の施策に追随邁進してきた国と、独自に生活者安全保障を経済とのバランスの中で模索してきている国との歴然たる格差となっている事を教えられる。
 それは単に社会保障政策の分野にとどまらず、人類生存の課題としてクローズアップしてきている
自然環境保護に関する自然との共生と産業とのバランス政策や原発を廃止し風力発電等の自然エネルギー活用政策などにも歴然と現れている。
また、過去の歴史からも学び、それらを進める上でも中立政策こそが現代の安全保障であるという確たる信念は政府のみならず国民の多くのコンセンサスとなっているようである。
さて、混迷する21Cの幕開けの時代、日本は何処へ向って行こうとするのであろうか・・?

(余録2へ続く)