「自分さがし」を始める前に待っていたこと…

〜グローバル化・核家族・高齢化時代の痴呆介護の世界〜

 (社)呆け老人をかかえる家族の会・岡山県支部

事務局長  妻井 令三(RSK・OB)
 1991年JNNデーターバンク20周年記念リポート「21Cへのライフスタイルトレンド」で、私のテーマはソーシヤルトレンドとして「地球は眠らないネットワーク化社会」、ライフスタイルとして「“人さがし”と“自分さがし”の時代」と記した。
 定年に合せるように、次女はフランスに嫁ぐことになり、母は痴呆の世界に迷い込んでいた。グローバル化の波がよもや自分の家庭にまで訪れ、「心の旅路」を彷徨う母の介護が来ようとは予想だにしなかったこと。10年前の推敲は、そのまま現実の様として当然のことのようにたち現れて来た。自分自身の余生の「自分さがし」をする前に…・。
 母の縁で世話になった老人保健施設の理事長の薦めで、まだ岡山に結成されていない(社)「呆け老人をかかえる家族の会」の県支部作りに関ることとなり、平成10年7月県支部結成と同時に事務局長役がボランティア?としての役目となった。
 痴呆を看ること
 JNN‐DBの「世の中の関心事」の項目で“老人問題”が第3位に。「恐いと思う事柄は」は“ガン”に次いで第2位に“老人性痴呆”がノミネートされる現代目本人の心象風景。
 100年前の倍の平均寿命となった日本で、65才以上の7.5%、80才以上では4人に1人は痴呆症に罹るという。いまや「痴呆」はさして珍しくない普遍的現象の趣。
 そして、少子・核家族化のもとでの高齢化がその患者介護に強いる負担はカナリの修羅場。そのありようはトルストイのいう「幸せはどの姿も一様に見えるが、不幸な姿は夫々に違う重さと形をしている」サマを呈して、様々な相談が寄せられる。 
 「親の痴呆を認めたくない」心象・「速隔地に独居する親の痴呆」・「80才の連れ合いを介護する老々介護」・「介護をめぐる夫婦・兄弟・親族との軋轢」・「間題行動・俳個・不潔行為に目を離せない日常」・…・介護するものが倒れると言われる痴呆介護の世界。そして、なにより厳しいのは介護者が誰にも言えず「己自身の心の内での建前と本音の葛藤」にさいなまされる例が一般的。それは、介護者の生き方を試されるもう一つのリトマス試験紙。
老いても偏差値で捌かれる日本の「介護保険」との遭遇
 県支部造りと機を一にするように「介護保険」が顕在化。この4月より施行の運び。医療保険の赤宇化を口実に、財源の抜本見直しは棚上げし、厚生省が自由裁量権のある国民負担を保険という名目で付与したのがことの本質。その運用はコンピューターで「人」のありようを裁断するという偏差値主義と、「人」の介護福祉を商品化しようとする民活路線。肝心の仕様はキッチリ厚生省が握り、執行は地方自治体に丸投げの巧妙な仕切り方。その運用を前に、自治体・福祉・医療・施設関係者からうめきにも似た声を聞く度に思うのは、この制度極めてタチの悪い「人」処理の思想で成り立っているのでは・…と危惧する昨今。この世紀末のこの国の中で「伸ぴやかな自分さがし」の夢の旅は訪れそうにもない……。

2000.02.20 妻井 令三

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