ボランティア活動

「老いのゆくえと自分さがし」スウェーデン紀行(1)

  〜 高齢者介護福祉の現場を訪ねて 〜 妻井令三

  
“石をもて追われるごとく旅に出て…"の人との出会い 2000.07.11

 私は、会社定年となった年の1998年10月、岡山県笠岡市が主催する「笠岡グループホーム国際サミット」に参加した。母が老人性痴呆症に罹った縁から、ある施設の理事長の勧めで、岡山県に未だ結成されていない(社)呆け老人をかかえる家族の会の結成に協力してほしいと言われ、県支部結成に漕ぎ着けたばかりの間もない時期であった。その「フォーラム」では、福祉先進国と言われるスウェーデンから痴呆症協会理事長やモービロンガ市総福祉責任者が招かれていた。それぞれの話も明快率直でその国の福祉政策や、現場の人達の老人介護にあたる姿勢が新鮮な驚きであったが、それに加えてその通訳役で来ておられた私と同い歳の日本人原昭二氏の、私見的に話された一寸した言葉に惹きつけられた。
 原氏は日本社会の建前と本音の使い分け主義や卑小な“いじめ"の横行する会社勤めに疲れ30才の頃、啄木の“石をもて追わるるごとく''の心境でふと訪欧の旅に出てスウェーデンに居着いてしまったという。
 「人を人として対等に扱ってくれる国があるという初めての驚きと、そこに住み人間らしい生活を見つけることが出来た」と、還暦を迎える人らしからぬ初々しい言葉であった。その話は同じ腹蔵の思いを溜めながら生きてきた私の会社勤務経験に照らして、共振するように心に響くものがあった。
 山崎豊子が「沈まぬ太陽」で活写しているさまは、私の勤めた民放企業でも「放送を国民のものに」と直言する社員に対するおぞましい仕打ちとレッテル張りが踏絵のように当然の慣習として横行したこの国の風土を経ての感慨が残っている。そんな会社勤めを満了した中での原氏のモノローグは、スウェーデンを一度訪ねてみたいと思うようになったきっかけである。

地方のグループホーム グループホームに隣接する保育所

 また、かってバリ島でリゾート地を離れた僻村をたずね、農民や子供達の率直な会話ぶりや、非武装で環境保護の国コスタリカの村で出会った運転手さんや美しい少女達のてらいや卑屈さのない素直な話し振りの中に、もうとっくに日本人が忘れて捨て去ってしまっている、駆け引きや偏見にとらわれない人間らしい交流として感じつづけていたものが、先進資本主義の国に残っているのかという興味も別の面での関心としてあった。
 そうした、人のありようや人間関係のあり方のうえにこの国がどういう姿で形成されているかということ、そしてその上にどんな高齢者福祉や政治、経済、社会のスタンスが形作られているかを確かめたい思いが募っていた。
 「老いのゆくえを」をたずねることは、単に老人介護の実態を見る事だけでなく、これまで生きた白分の軌跡を確かめつつ、新しい「自分さがし」の足がかりを見極め
たいとの思いもあり、「きのこエスポアール病院」さんの誘いに思いきって乗った旅である。

  村の中のデイケアーハウスで…
 幹線道路を少し外れると小さな集落にでた。訪ねたのはMONSTERAS市の「SA1GAREN」というデイケアセンター。普通の住居と殆ど変わりのない作りの家。室内には花が活けてあり、絵やカーテンの配色も落ち着いた家庭のしつらえである。朝10時、お年寄りが5名ほどゆったりとした顔で居られた。「ハロー」と言うとにっこりして異国の客に握手をしに来られる。顔つきが豊で、落ち着きが一様にある。初期痴呆の方も当然おられるが、陰惨さがまるでない。普段の生活場所といった風情で、着ている服も質素ながら個性がありそれでいて洗練されている。広い食卓を囲んでお茶を飲みながら朝のミーティングといった時間。この時間で皆でやれることを介護者を交えて相談して一つ決めるそうだ。

スエーデン・グループホームの老人の部屋 スエーデン・村のデイケアハウスで・・・

必要がある人はクロワッサンやジュース等で簡単な朝食としてとりながら…。会話をすることや、出来る役割をやることの大切さを生活のリズムとして織り込んでいるそうだ。
 3人の市の職員が介護に当たっているが勤務の関係で2人で勤めることもあるという。
通いには市が契約しているタクシー会社が担当(これにあたる運転手は老人介護の研修を受けているとのこと)。この点は、日本の施設が白力でやっているのが羨ましいと言う。

 見ていると、介護者が介護してあげているという気取りが殆ど感じられない。一緒に生活している娘さんと言った雰囲気で、揺ったりした動きである。ただ、必要な目配りはいつもしていて、我々に対する説明中でもお年寄りに介助の必要がありそうな気配があると
「一寸待って下さい」といって、すっと傍に近づく動きは無理がない。まさに「介護は人なり」であると思い至る。痴呆症介護のためには「もっと勉強したい」とも言う。
 介助者の説明では、家族の単位は夫婦で、本人の意思を基本にし痴呆になれば連れ合いの同意を得ながら必要な生活支援をして行くのが福祉に携わる関係者の仕事であるとし、
「年をとっても人権がある」ことを大事にしたいとのこと。子供達は、自分の生活を作り上げることや子供の成長に責任をもつべきで、老人介護は遠隔地勤務や親子別居生活が一般化した今日の社会では、政治や行政による社会的支援が当然のこととスウェーデンでは位置付けられていると言う。
 悩みは、在宅での生活が無理と判断されても本人や連れ合いが、痴呆などを恥ずかしがり支援を断わる時で、粘り強く馴染みの関係を作って行く中で悲惨なことにならぬよう日常的に地域コンタクトマン達が目配りをしながらアプローチしつつ、社会支援へ誘導して行く体制とのこと。本人や家族の申請以前の対応こそ市の福祉政策の責任と言う。
 とりわけ、初期痴呆は早い内のケアーが大切とわかっているため、そのために留意して地域支援を行っているそうだ。緊縮予算で福祉予算もここ数年厳しく増えてはいないが、老人が安心して暮らせる保証は厳然と社会的コンセンサスとして確立されているということを痛感した。
 視察を終わって帰ろうとするとそれまで控えていたお年寄たちが出てきて、別れの挨拶と同時に一緒に写真を撮ろうと、我々の一行の中に溶け込んできた。ここには、豊かな時間が流れているという感慨が沸き起こってきた。
(2へ続く)