操山31会南イタリア吟行記 (PART3)
                       
                          松本 X(山麓句会 輝庵) RSK OB

 第5日目 6月10日(火)ロッカ・デ・マドンナ→カステルモーラ→
エトナ山(2900メートル地点まで)
                    (エクセルシオール・パレス連泊)
 
 さて、今日のメインエベントはエトナ山見物ですが、午前中のフリータイムを長崎さ
んにお願いして、ホテル・エクセルシオール・パレスより更に高い位置にあるロッカ・デ・
マドンナ(修道院)とカステルモーラの町を訪ねました。青い穏やかな海。降り注ぐ太陽。切り立った山、色とりどりの花や緑の木々に囲まれた家々。
明媚!景勝!名勝!絶景!奇観!壮麗!端麗!・・・・・・おやおや、発泡酒になっ
てきました。ありきたりの言葉ではこの美しさは表現できません。さすがの晴茶も、もう言葉を失ってしまったのでしょうか。

   ジエラートを嘗めて天国あゝ極楽(晴茶)

 さて、いよいよ今回ツアーでも最大級の目玉エトナ登山。僕が愛読している「ナショ
ナル・ジオグラフィック」2002年2月号は、このエトナ山を特集、次のように記述
していました。

 「ヨーロッパで最も活動が活発な火山エトナ(標高3315メートル)は、地中海最
大の島シチリアの北東部にそびえ、この島に入植した様々な民族の文化に影響を与えて
きた。プラトンは紀元前387年、エトナを一目見ようとギリシャから船出した。また
伝説に登場する英雄オデユツセウスが、一つ目の巨人キュクロプスの投げつけた巨石から
逃れたのもこの島だ。さらに古代ローマ人は、エトナを火と鍛冶の神ウルヌカスの炉と
考えた。エトナ山の噴煙が途切れる日はなく、この50年間、火山活動は次第に活発化
していた。だが、噴火は山の高いところで発生し、溶岩流の速度が遅いため、人命が奪
われることは滅多にない。2001年の激しい噴火で生じた火山灰は、アフリカ大陸の
リビア方面に流れ、サハラ砂漠まで達した。」
(「ナショナル・ジオグラフィック」イタリア版スタッフ:マルコ・ピンナ)

    夏日差しオデユツセウスの眠る島(輝庵)

 住宅地を抜け、林や森を通りながらバスは坂道に差し掛かります。特別に許可を貰ったレストランとか観光関係の施設を除いて、一般の民家はもうこれ以上高いところには建ててはいけない、という辺りまで来ると黒い溶岩流が随所に見られるようになりました。

2001年の大噴火まで観光客の足を運んでいたリフトの始発駅のところでバスを降り、四輪駆動のジープに乗り換えます。日の丸を含む万国旗を吊るした観光客目当ての簡易お土産屋さんや水を販売する店。みな思い思いにストレッチしたり、写真を撮ったり。
「便所ないか?」と播州訛りのドクトル西脇。「あるよ、そこら中」と僕。二人はグループを離れ、エトナ山頂を見上げながら黒い地面の夏草に思いっきり・・・・・・・・・。
ジープは急坂を上り始めました。一面の溶岩の原にリフトの大きな支柱がグニャリと曲がり何本もの架線が垂れ下がっています。わずかに残雪も。2900メートル地点で下車。吹く風は冷たく、みんなあわててジャンパーやウインドブレーカーの襟や袖口を絞ります。あちこちにクレーターがあり、その中の一つに歩いて行きました。硫黄の臭い。小さな噴煙がそこここから出ています。手を触れれば温かい生まれたての地面。草木も鳥もいない全くの死の世界と言いたいのですが、なぜか茶色の蝶だけが数多寒気の中をひらひらと飛び交っていました。    

火山灰の黒きに咲くや紅き芥子(晴茶)
  汗ぼこリジープガタゴト溶岩道
  灰に染む黒き残雪エトナ山
  靴底へエトナなつ夏ね嶺のマグマ熱

  飛び交ひしエトナの山の夏の蝶(芳茶)
  時流れ溶岩に咲くバレリアーナ
  溶岩の中より飛び立つ夏の蝶

夏草やエトナ山腹立小便(輝庵)

第6日目 6月11日(水)タオルミーナ→アグリジエント→パレルモ
                     (ホテル・ジョリー泊)

 2連泊したエクセルシオール・パレスに別れを告げ、バスはジャルデイ―ニ・ナクソス
カターニヤ、エンナを通ってアグリジエントへやってきました。三角形のシチリアの底辺真
ん中辺りに位置し、海の向こうはチュニジアです。ここアグリジエントはギリシャの植民市
で時の抒情詩人ピンダロスが「世界で最も美しい町」と詠んだところ。地中海を見下ろす
標高326メートルの丘に20余りの神殿がずらり並ぶ様は壮観です。
 
  アマンドのまだ青き実のたわわなる(晴茶)
  神殿の谷やオリーブの花の風

  神眠る神殿包むオリーブ樹(和庵)

  興亡の歴史語らず夏の島(輝庵)

 バスは今夜の宿泊地、シチリアの首都パレルモ目指して走り始めました。メッシーナ海
峡を渡って、シチリア島に入った冒頭、この島は様々な民族に侵略され支配されたと書き
ましたが、いつも唯々諾々と隷属していたわけではありません。1268年に始まるアン
ジュー家(フランス)の圧政に苦しんだ島民は1281年の復活祭の前夜「シチリアのばん晩とう祷」
として知られる反乱を起こしました。祈りの鐘を合図に、民衆は決起し何千ものフランス
人を虐殺。反乱は全島に及び、民衆は次々とフランスが支配していた領地を取り戻し、つ
いに全島が外国支配から解放されたことを宣言したのですが、半年後フランスに代わって
スペインのアラゴン家の支配勢力が上陸、1861年イタリアが国内統一を達成するまで
外国勢力に支配され続けたのでした。(講談社「世界の国・イタリア」より抜粋)

 見晴るかす丘陵地帯の麦の秋(晴茶)
 炎昼や橋下に集う牛の群れ(輝庵)


一行はシチリアの首都パレルモに入りました。アフリカに面していたアグリジエントとは反対側、ヨーロッパ大陸に面した港町です。バスはまずパレルモから30分離れた標高310メートルの高台に開けた町モン・レアーレに到着、ここのドウオモを訪ねました。ノルマン・アラブ様式の見事な建築で、1174年からたった2年で完成されたといわれています。聖堂内部は黄金のモザイクで飾られていました。
次はパレルモに帰ってノルマン王宮に。アラブ人が造ったアラブ様式の遺構を、12世紀この島にやってきたノルマン人が手を加え、これまた異文化が一つに溶け合った珍しい建築物で、今も議会場として使われているとの事。
つづいて、巨大なアラブ風彫刻で飾られたヌオヴァ門を経て、カテドラーレ(大聖堂)へ。これはシチリア・ノルマン様式の教会で12世紀末建築のもの。
 帰国後ビデオやあまた資料を見ながらこのように順を追って書けば、すべて整然と頭にインプットされているかのようですが、短時間であまりにも多くの似たような建物を訪ね歩きましたので、頭の中はごちゃごちゃです。ただ、シチリアに多くの異文化が存在し、この島ならではの独特の魅力を持っていることを痛感しました。
 ホテルへの帰り道、ギリシャ神殿を思わせる豪壮なマッシモ劇場に立ち寄りました。映画「ゴッドファーザー」のロケはここの階段で行われたそうで、この日も着飾った市民が三々五々入場していました。この夜のホテルは海沿いの「ジョリー・パレルモ」でした。

   シチリアの晩鐘響き燕舞ふ(輝庵

                                                 
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