ボランティア活動

「老いのゆくえと自分さがし」スウェーデン紀行(3)

〜 高齢者介護の現場を訪ねて 〜  妻 井 令 三

"忍び寄る老いを見据えつつ…"

この旅に先駆けて、思いもかけず二つの事柄が私の心にのしかかってきていた。
 一つは、昭和12年生まれの高校同窓生H君という友人の大腸ガン発覚、入院である。故郷に在住し、自営業を営みながら山田方谷研究をはじめ郷土史の紹介にも努めている男である。我々は同窓会を高梁・岡山・近畿・関東在住者を幹事として毎年キャラバン開催をしており、高梁高校7期生は"同窓会狂い"と先生達に評されている。それも、彼の不断の面倒見の良さに依るところが大きく、今にして思うに「我等青春の港場」ともある友は言う。定年を迎えた私にとっても、この友人達との交流は何にも代え難い財産であることが鮮明にもなっていた矢先のことである。彼は,50才近くなって始めたゴルフもシングルまで到達した腕前で、皆一目置かざるを得ない御仁。
その彼がガンに罹った。できた二人の子息は医師になっているが、医師にかかるのを極端に嫌がる性格の親の我侭まではコントロール出来なかったのであろう。おそらく、「あの元気な親がよもや…」という油断はやはりあったであろうと、私の親との関りの経緯に照らしてみても推し量られる。何時の間にか、あがらい難い忍び寄る"老い"の重しを思い知らされる出来事であった。
 我々の同窓会は、毎年6月第一週土・日と決まっている。例年のこの集いは、夫々が生きている証を確かめあう、拠り所の場ともなりつつある。昨年は、この同窓会の幹事役の一員であった私は、この時期に設定されていた「きのこエスポアール病院」さんのスウェーデン旅行の誘いを断わっていた。この重複日程を、今年は友人達に詫びながら、訪欧の旅に出る決心をしていた。
無事,退院したH君は10日後の琵琶湖畔の同窓会に「生きいる姿を皆に見せてやると…」と出席したという。
 もう一つは、来年は私の父が逝った年に自分がなることに、ふと気がついた。それは、予め自分で考えての事柄ではなかったものだが、旅の近づくにつれ,何故か迫る感慨として浮かんだ。男同士のてらいもあり、多く語り合うことの無かった父は、太平洋戦争にも赴き、戦後の時代を長男というしがらみの根強い僻村で、酒を友連れに生き、逝った。畠仕事や山仕事に、また巧みな川魚漁に連れ働きという貴重な体験を経ながらも、父を中・高校時代の私は、むしろ疎んじ続けて生きていた。父の逝去は、当時としては遠い大阪住まいの私には突然の事であった。愛憎ない混ぜた名残があり、心理的には親子の和解が自然に成り立つまでには、私は未熟過ぎていたことに思い至る。唯一の報いは孫の顔を私達に見せたことのない顔つきであやしていたことぐらいであろう…。その後十余年を経て、芯が強いと言われながら独居していた母が、これも"よもや"であるが"痴呆"に罹ろうとは…、予想だにせぬ時の仕置きが訪れてきた。
 そして今、「己の老いと向き合える覚悟は…」と自問自答しつつこの旅に出た。

        介護を要する老人達の住み場所は…

 10ヶ所余りの各地の老人施設を視察した。それらは殆どが35u前後の個室で、夫々の部屋にシャワー・トイレ・洗面台がおかれたコーナールームが設置されている。そして、ベッドだけでなく、テーブル・ソファー(布製・皮製)が置かれ私物の箪笥まであるのだ。絵や家族の写真などが飾られ、花もあり生活者の雰囲気をかもし出している。カーテンなどの色
合いもカラフルで夫々独自の物。相当重度痴呆の老人部屋までそうなのだ。また、比較的新しいグループホームの多くはポーチ、テラス等の工夫がなされるとともに、庭へ誘導もバリア化されている。外での"お茶"も可能になるように、外気と陽光との触れ合いを留意していることが伺える。食堂以外に、共同の居間がありソファーを配置している。また、廊下には各所にクロスを掛けた小テーブルと椅子が置かれている。そこで人生を全うするまで安心して住める生活者の立場を尊重した「特別の家」なのだと納得した。
「施設に入所」するのではなく、「特別の家に転居」するという考え方なのだ。
 例外的なスウェーデンの"恥"に近いと言いながら見せてもらった施設に、元精神病院(かっては2,000人の患者を1500人の職員が介護していたという)の後の一部をナーシングホームとして使っているものがあった。広大な敷地に大きな木の点在する素晴らしい立地で、病院風の閉鎖感は否めないものの、二人部屋・四人部屋が一部残っていることと、夫々の部屋空間が狭いということなどで3年以内に閉鎖するという。

  閉鎖予定の旧精神病院利用のナーシングホーム             グループホームの部屋

          エーデル改革

1992年、スウェーデンでは老人・障害者生活福祉の経済的な責任を大幅に県から市に移すエーデル改革を行った。そのポイントの一つにそれを必要とする老人・障害者には適切な住居を用意する義務を負うというものがある。"適切で良好な住居を提供すること"が生活保障の一番基礎になるという考え方。病院で治療を終えての退院後や老齢化・障害などで在宅が無理になった人に「特別の住居」を用意するのである。ナーシングホーム・老人ホーム・サービスハウス・グループホーム等がそれで、市はこれらの住居を薦める時は、個人の意思(希望)を尊重し、人間の尊厳を大切にする環境作りを義務付けられているという。
 この改革で、県は病気の診察・治療など医療関係に全面的責任を持ち、老人・障害者の生活保障・介護の経済的な責任を市が単独で負うことになったもの。そのため、各市には看護婦・准看護婦が雇われており、お年寄りたちの保健・生活保障・介護に責任を負うことになったそうだ。
 この改革の背景の一因には、急速な高齢化率の上昇のもとで、高くつく医療費圧迫問題もあるというが、予防効果のある福祉政策の充実の方が安くつくという考え方だ。
 痴呆症等について、県は医療の立場から、市は生活保障の立場から実態把握に努めて連携して早期発見に努める仕組みという。

 根底にあるのが、あくまで"人間尊重"と"住民本位"という思想の上に組立てられていることなのだ。コンピューターで人間を計測・裁定し、"時間量"と"金高"で介護量を処理しようという国との、途方もない隔たりを痛感する。 (4へ続く)