ボランティア活動

「老いのゆくえと自分さがし」スウェーデン紀行(5)

〜 高齢者介護の現場を訪ねて 〜   妻 井 令 三

パスポ−ト忘れた!・・・財布がない!
     異国の旅ハプニング

 長い道程のバスの中や、夕食を楽しみながらの歓談は旅の醍醐味のもう一つの顔。食事は異郷の生活を本能として嗅ぎ分ける貴重なツールである。さらには、夜10時になっても陽の沈まぬ6月のスウェーデンであってみれば、ワインを楽しみながらの夜の集いは、話が行き交い、時間の動きが遅くさえ思える。そんな営みを経ながら経歴・年齢・職業の多様な17名の道連れ達が次第に慣れ親しんで行く。
そして、旅では良くある事象であるが、慣れと共に4〜5日目頃には夫々の我侭がぶつかる緊張関係もふと顔を覗かせたりする。そうした一寸した角逐を過ぎると、得がたい連帯感が産まれてくるのは旅の不思議な所産でもある。
さて、旅も中盤に差し掛かろうとする頃、ある慣れと疲れのないまざってくる一日、バスが美しいい湖畔のカフェ風レストランに立ち寄った。
軽食が中々美味いと言う、運転手ペニイさんの薦めで、なるほどリーズナブルな値段の割に美味い。揺ったりした時間と眺めを楽しんでバスは出発した。そこから50キロほど走って目的地に着いたとたんにK嬢の顔色が良くない。そわそわした立ち居振舞いに何やら事件と察せられた。「パスポートが無イッ!」と‥。財布と一緒だと言う。あれやこれやの推量を経て、「さっきのレストランだ…。テーブル脇のところに小さい入れ物がおいてあるなと思っていた・‥。」と誰かがつぶやく。
別に慌てる風情も無く、"やっぱり起こったか"といった顔付きで、原さんとペニイさんが顔を見合わせている。すぐペニイさんが携帯電話でレストランへ電話をしている。やおら振り帰って指で''oK"の丸印サインとウインクをして見せる風情に、バスの中は安堵感が流れた。「よく無くならなかったものだナ…」とスウェーデンに対する好感度が一気に盛り上がる。
 それは、ヒトゴトではなかった。それから、2日後今度は私自身がその当事者となったのだ。夕食後、一寸タバコを買おうとポケットに手を入れたら、財布が無イ…?。「???…・」 これまでの多くの失敗事例を挙げながら、一昨日原さんから注意を受けたばかりなのにである‥・。"落としたか…?"''それなら何処で・・・?" "昼レストランを出る時擦られたか・・・?" 己に対する情けなさとわびしさが頭の中を往き来する。とうとう痴呆の前触れかとも…。別に小分けしてパスポートに潜ませた小金で以後凌ぐ以外に無いと覚悟を決めた。紛失届は翌日とし、夜日本のキャッシュカード会社、銀行へ執行停止の連絡や、妻やパリにいる娘に諸手配の連絡で、支払い電話料は1万5千円近くになっていた。そっと原さんにだけは伝えたが、本人の狼狽振りからかそんな情報は瞬く間に旅仲間に伝わっていた。
翌朝、最後の可能性となっていたバスの前日座った席の下に、私の財布がキッチリ落ちていた。「良かったね‥・!。夕食は妻井さんの驕り…!」と皆容赦は無い。一件落着の祝いと応諾、それを同行の筒井書房社長が半分援助して下さった。支払を済ませ二人が出ると道連れ連が出口で手アーチ組んで歓声でお迎えである。いやはやとんだハプニングでありました。

高齢者福祉の最重要課題は痴呆対策
  二つの市の福祉担当者の話で、高齢化の中で痴呆症対策が最大課題になっているこ とが共通して強粛されていた。その対策として、
 @特別の住宅(グループホーム・サービス
 ハウス・ナーシングホーム他)の増設・ 整備。
 A在宅支援と痴呆症の早期発見の訪問活動。
 B痴呆症介護者の教育の徹底。
 を重点的に取り組んでいると言う。
 日本の施設にあたる「特別の家」は"介護収容施設"といった位置付けではなく
 いかに痴呆症であろうとも"生活者"として老人達を、介護援助して行く観点だ。
 在宅者も保健婦・福祉担当者が介護を要すると目される住区の老人達を恒常的に訪問 して孤独に追いやらず、痴呆症や寝たきりの早期発見に努めている。

また、医療を担当する県(看護婦・医師)も別の視点から実態把鐘に努め、問題があれば市と連携して対策を講じるという。
ここには心のケアを含めた日常的な生活安全保障とも言うべき視点と、「予防」こそ医療費の削減に資するという政策合理性とが巧みに統合されている。放置された"痴呆症"は当の老人にとっても、また介護家族(配偶者)にとっても悲惨な結果になると関係者は口を揃えて言う。「それを未然に防ぐのが行政の"責任"である」・‥と。
エーキバッケン市のB・フォーリー福祉省委員長(議員)は「特に最近は痴呆症対策に力を入れている」と説明されていた。
また、カルマル市では政治家(議員)達がこの市を魅力的な街にするためにも介護予算は減らさないと表明しているそうだ。
介護者教育・研修こそ大切・・・
市の保健福祉担当の中に「介護者教育」の部署が置かれているのも驚きであった。ある担当者は「初期の痴呆介護は精神的苦労 が多く、重症痴呆介護は肉体的苦労が多くなる・・・」と呟いていたように、痴呆症介護の大変さを良く知っていることが伺えた。痴呆症への対応は、画一的ではなく個々別々の症状や、状況の変化をつかんで対応する能力が重要であるとしている。そのため、症状の特性の理解や介護の精神や姿勢、薬についてや食事(栄養)、更には"人間そのものへの理解"まで深めた研修が市の責任でも進められているのである。 その研修は短いものでも58時間。本格的なものは、半年に及ぶ研修もあるという。そして、それは一回で済まされる性格のものではなく、繰り返し繰り返し行われることの重要性を強調されていた。「慣れや経験主義は危険でもある‥・」とも、その一方で、「介護職員に対する心のケアも忘れてはならない」と発言されたことに痴呆症介護にあたる視点の探さが読み取れる。
そして、政治家(市会議員)達も介護者教育の重要性を強く要請しているという。議員や行政が事務的指導・処理の範疇を超えて所謂ケアのソフト面にまで"責任"をもつ姿勢なのだ。まさしく、ケアは"人作り"がキーだと肯ける局面であった。
我々の視察を取材中の新聞記者

 教育・研修の課題は「介護の質」の向上の要諦であるが、これを巡って議論が沸騰したことがある。"教育"と介護者の"資質"の問題である。社会的介護における痴呆症介護の深淵を、関係者が正面から議論したことは極めて印象深い事柄であった
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