ボランティア活動

「老いのゆくえと自分さがし」スウェーデン紀行(6)

〜 高齢者介護の現場を訪ねて 〜   妻 井 令 三

王女主宰の痴呆症研修センター    
旅の終わりにストックホルムの王宮に近くにあるSylviahemを訪れた。シルビア王女が痴呆症に罹った母の介護の経験から、社会奉仕として痴呆症介護研修のための機関として運営されている施設であった。
 閑静な住宅地の中に、清楚ではあるがゆるやかに配置された平屋建ての建物で、シンプルな飾りつけながら夫々の部屋が独自のカラーコーディネイトされている仕様は、スウェーデンのたくまざる美的センスをうかがわせるものであった。日常的にここで痴呆症のデイケアーを行いつつ、介護研修の理論と実践を行っている場所とは想像できない清潔感と気品に溢れていた。 世界的にも高名な施設長の女史と伯爵で精神科医である夫君の説明では、人間に対する理解を基本に据えつつ病気の理解に加えて痴呆症介護のありかたを徹底するため、半年から1年にわたる研修生をスウェーデン国内のみならず海外からも受け入れているという。
ここでも痴呆症介護に携わる人への繰り返し繰り返しの教育・研修の重要性と、痴呆介護のあり方を探り続ける研究の重要性が今後とも大切だと説かれていた。
 庭に訪れた鹿の姿を窓越しに眺めながら説明を受けつつ、皇室の王女が自分の信ずるところに従って母のことをオープンにし、それを契機に社会奉仕するありようや、痴呆症という現代の人間社会の大テーマに正面から向き合う姿勢に感嘆した。

サラの法律と介護オンブズマン
 スウェーデンでは老人をケアする施設は基本的にはパフリックサービスとして公営のものが多いが、予算運用の効率化を目指して一部を民間に移管している市もある。そうした、民間の施設における介護の質についての保障は大きな課題であるという。
 1997年ソルナ市にある民間老人ホーム「ポールヘムゴーデン」で、不適切な介護が行われ、入所者に褥瘻(とこずれ)をつくってしまったと、そのホームの職員である准看護婦のレク・サラが解雇される危険を顧みず市へ告発したという。そのことが大きなスキャンダルとなり、マスコミも注目して機敏に取り上げるところとなった。市が調査に乗り出したところ、効率主義のこの施設でズサンなケアが行われていることが明るみに出た。
 この勇気ある告発によって、サラは介護福祉の'98年度賞を受けるとともに、「介護職員は入所者が不適当な扱いを受けたり、また、基準より低いケアが行われているような事実があれば、市に報告する義務がある。」という内容の法律が直ちに制定されたという。
 介護の質を点検する重要性に照らして、看護婦や介護士の経験を積んだ公務員処遇の「介護オンブズマン」も置かれている。この人たちは、任意に事前予告無く施設の立ち入り視察を行い、運営の改善指摘や取消権を含めて報告を行政機関にすることを義務づけられているという。介護の質は、人権尊重の試金石であることを教えていることが伺える。
老いの旅路での発見
 私は、旅に出るにあってノルマの課せられた仕事以外は、余り事前の下調べをしないことを主義としている。予断を持ってその下調べ知識の枠内でしか物を見たり、判断する陥穽をおそれるからで、自分の肌で感じたり、新鮮な発見をすることのほうが有益と勝手に信じている。この旅もその例に漏れず計画は貴方任せの出たとこ勝負といった行程であった。
 「福祉国家」と称されるこの国の高齢者ケアの現場は私の若干の予断さえもはるかに超える水準にあったが、その底流を支えるこの国の人々の地についた生活意識や政治意識の確かさのあり方に興味をそそられた。国政・地方自治のあり方や、行政現場の職業意識を見聞するにつけ、政治の果たす基本的な役割・責任意識が単純明快だという側面と、それを選び、監視する国民の能力がキチンとしている民主主義の根幹部分に行き当たる。投票率80%以上という選挙制度の運用状況一つをとってもそのことは、日本との隔絶を痛感する。
 行政担当者からよく聞いた「私の担務の責任は・・・」、という言葉は今の日本では殆ど聞くことは少ない。シリアスな課題になると「予算が無い・・・」「担当所轄範疇外で・・・」「前例が無い・・・」といった弁明を多く聞く日本のありようとは雲泥の差を感じずにはおれなかった。パブリックサーバントの基本にかかわる意識の差であろう。
 そのことは、一般の職業意識にも共通していて、医師・看護婦・介護士などの出会った人々からも共通する印象を受けた。
 それは、従事する仕事を"あるべき"理想に照らしての価値の追求という基本を前提に、率直に意見を闘わす重要性を、人間社会の原則として熟知している知恵とも受け取れた。
子育て・教育・そして旅の同窓会
 予断の枠外に感じたもう一つの大きな感慨に"子育て""教育"に対するあり方があった。
 通訳の原さんとのつれづれ話に、「孤独に向きあう」事の大切さに話が及んだ。北極圏に近いスウェーデンの風土は、人々が生きる上で孤独との向き合いは恒常的なテーマであったという。その中でこそ、人の生き方の模索が各人に問い続けられてきた歴史とも言えるのではないかと感じた。子供達に対する教育の基本は、孤独と向きあう中で"人に対する優しさ"も育つことを知り尽くした上で、「子供たち同士の喧嘩を止める親は悪い親」「ちょっと転んで泣き出しても、すぐ手を出さない」といったことが常識となっている。喧嘩の中で、自分を発見し、力の差やどうすればよいかを自分で学び、弱いものを助ける感情も育つという常識である。立って歩けるようになった子は転んでも自分で立ち上がる力をつけさせるべきなのである。

大学教育の現場は、10〜20名位までのクラス単位が殆どで、自主学習が基本に据えられ学生は教師より出されたテーマを自分で調べ相互討論を徹底的にやるやり方だそうだ。
教師はその後討論の要趣をまとめ持論をその後少しするやり方となっているという。討論に打ち勝つ自力学習がベースで、ハウツウ的記憶学習だけでは簡単に卒業できないそうだ。
人間の"孤独""自立"を共通のベースと認識した上での、あるべき"協業""社会システム""政治システム"が組み立てられ、その中で人々が理想とする社会を目指そうとする志向が伺える旅であった。

旅の終末30代の一人が、「このメンバーで20年後にここに来て同窓会をしよう・・・」と言った。老いゆく足取りの不確かさを覚えつつも、やはり生きてその集い参加したいもの。
                                     
(余録1へ続く)