あなたの老後が見えますか・・・?  

         (社)呆け老人をかかえる家族の会岡山県支部代表 妻井令三
                                               
(RSK OB)
「福祉オンブズおかやま」という団体の会報に依頼されて寄稿した小文と
昨年11月、医療福祉大学で90分×2コマで行った講義に対する学生の
リポートが担当教官のご好意により送られてきた一部を紹介いたします。
前者は、現在の「高齢者介護」の現状の到達点を私なりに感じていることで
あり、後者は、現代の学生たちも見捨てたものではないと改めて感じた140
余通の一部です。まさに、負った子に訓えられの心境であります。
それだけ、我々が老いている証なのかもしれません・・・。

                  「(社)呆け老人をかかえる家族の会」県支部5年の歩みから・・・
                        <あなたの老後が見えますか・・・?>

 日本の平均寿命は1世紀前のほぼ倍になった。医療や保健に携わってきた人たちの尽力により長寿という宝を多くの人たちが享受する時代ともいえる。長い人類史の中での革命的な事象といってもよい。だが、他方で加齢による特有の病に向き合わざるを得ない事態にもなっている。脳の神経細胞の障害による"痴呆"という病である。現代人の生活意識調査の「あなたにとって恐いものは・・・」という設問項目で、"ガン"や"戦争""無差別殺人"に次いで"痴呆"がノミネートされるようになっている。"物忘れ""判断力の喪失""空間認識の欠如"など、心の宇宙遊泳状態に放り出されるような不安に苛まされる悲しい病である。しかも生来の感情だけは残り、益々鋭くさえなるだけにそれへの対応は極めて難しいものとなるのが通例である。本人の不安や混乱の状態とともに介護家族にとっても予期せぬ事態の出現にそれまでの生活が一変せざるをえない状態になるのである。65才以上の7.4%,80才を超えると4人に1人は痴呆症に罹るといわれ、もはや"痴呆"は特殊な病ではなく普遍的テーマとさえなっている。そして、高齢化時代をどう生きるかも問われている。

廃用性老人という偏見のはてに・・・
 1972年に世情に衝撃を与えた有吉佐和子の「恍惚の人」が描かれて30年を越えようとしている。それでも、痴呆症は特殊なものとする偏見は根強く、政策的にも"寝たきり老人"対策は取り上げられていたものの、"痴呆症"対策は全国実態調査さえされた形跡はない。高齢化の予想を超える急ピッチな進展とその中で進む痴呆症問題は大きく潜在的に進行するままに流れていたと言っても過言ではい。医療関係者でさえ一部の専門医を除き、その原因の未解明もあり根治的治療法の手立てのないこともあって「年相応の物忘れですな・・・」という一言で扱われるか、問題行動に対しては向精神薬での沈静治療で便宜処置されるか拘束介護対応されるなどが多く、実態的には放置同然といった扱いではなかったか・・・?その結果は「廃用性老人」としての隔離収容処置か家族介護にゆだねられたままに20余年が推移してきた過程であるように見える。一般国民意識のみならず、関係者自身にも抜きがたく潜在している"呆け"への根強い偏見がそうした過程を助長してきた事を忘れてはなるまい。それは、らい病に対する偏見とも連なるものともいえる。
 高齢化社会という現実が医療・介護福祉・政策の対応を大きく超える形で推移してしまってきた。「介護保険」制度も慌てて組み立てられた応急処置的な、財源論を大前提とした制度設計が優先され、高齢者処遇というソフトの大原則が後回しといった趣を禁じえない。高齢者・障害者に対し先見的に取り組んできている北欧諸国とは、"人間をどう処遇するか・・・"という根本的理念が異なる地点に組み立てられているように思われてならない。

1980年「家族の会」結成から・・・
 「呆け老人をかかえる家族の会」が京都で結成されたのは1980年である。当時を語る「会」の人たちは、痴呆症に対する制度的・社会的対策は殆ど皆無に近い状態であったと一様に口を揃える。世界的にも痴呆症介護の当事者団体が最も早く結成されたのは1977年にカナダで設立されている。日本の動きは先進国の動きと機を一つにするものであると言えよう。岡山県支部も社会福祉協議会などの支援を受けてその当時世話人の選出までされたそうであるが、その後開店休業状態のままになっていた。県支部再建の動きが具体化するのは、「介護保険制度」導入論議が具体化してきた1997年からである。そして、翌1998年7月7日に全国で39番目の県支部結成に漕ぎつけた。
 結成後、会員さんの切実な要望をもとに直ちに取り組んだことに「徘徊SOSネットワーク整備」がある。警察に個人で行って「呆けの主人を探してください・・・」と言っても取り合ってもらえなかった実情を踏まえて、県支部では県警本部と県保健福祉部に要請活動を行った。県の対応は早く、その翌年には全県的に「徘徊SOS」は整備されたのである。当事者組織が出来る事が如何に大事かを体験した出来事であった。
発足当時県に出かけて痴呆性老人の実態・数量を調べに行った。当時の県の資料で「痴呆性老人3.300人」となっていたのには驚いた。「これは何を根拠に記載されている数字ですか・・・?」と聞いた所、曖昧な返事しか返ってこなかった。「具体的な調査資料のないまま政策立案・運用されているのですか・・・?」と嫌味を言ったことを鮮明に覚えている。
 それ以降、県支部では毎年開催される県の「痴呆性老人対策懇談会」に「要望書」を纏めて提出し県レベルでの痴呆症に対する意見具申を行っている。制度的な要求項目に加えて、その運用の改善や医療・介護の質の向上など多様な課題を集約して問題提起している。介護家族のお互いの交流と支えあいを基本としつつ、参加しにくい介護家族を繋ぐ会報「ぽーれぽーれ」を発行するとともに、様々な関係諸団体と交流を広げて多様な活動を行ってきた。岡山老健協の内部部会である「介護オンブズパーソン委員会」へ外部委員として参加し、視察評価と改善提言を定性的な見地から行う活動などもその一つである。
そして、昨年「会」の「全国研究集会」岡山開催をホスト役で実施すると共に「痴呆啓発パネル展」を県下9ヶ所でキャラバン展開を行った。
 こうして県支部5年の経過から見えてくるのは、痴呆症対策は今まさに激変期にあり、ようやく先進的な人達の質の課題へのチャレンジによる揺籃期にあるという思いである。

閉塞の時代状況を超えてゆく課題へ・・・
 戦争・財政の行き詰まり・景気低迷・環境破壊・文明の蹉跌・・・時代の閉塞感が覆う昨今である。今多くの分野で、スウェーデンモデルが改めて見直されようとしている。3年前、2週間にわたって見たその国には、予見をはるかに超えて人間優先の原理がシンプルに模索されていることが驚きであった。同行したエスポアール病院の佐々木院長が「日本は20年遅れています・・・」と呟かれた言葉に、某新聞記者と共に頷いたことを思い出す。そこには、"福祉"といった概念以前に、"生活者安全保障"が全てに優先するという思想と民主主義が国民のコンセンサスとして据わっていた。日本はコンピューターで人間の有様を査定したり、痴呆老人や障害者を"商品化"する愚行が厳しく問われなければならない。

                                            2003/7 MINK−HPへ寄稿


                        <医療福祉大学の学生のリポートから>
                   患者学「高齢化社会と痴呆症介護」の講義を聴いて・・・

 私が今、最も関心のあることは"痴呆症介護"である。偶然にも今回この講義を通し、痴呆症介護について学ぶ事が出来た事を嬉しく思う。私は以前、施設の痴呆症の方の棟を訪問見学した事がある。その間で凄く気になったのが、痴呆症の人への"偏見"と痴呆症の方への"尊厳"の問題である。痴呆症の方に対する偏見というものを、私は施設の中で目の当たりにした。「上の階には頭のおかしな人が入るのよ・・・」と、他の利用者の方々から何度も言われた。また、「痴呆人の介護は余計な気を使わなくてもいいから楽だよ・・・」「ロボットを相手にしているみたいなものだよ・・・」と介護スタッフの一人が、ふと呟かれた言葉に衝撃を受けた。どこの施設もこのようなものなのであろうか・・・?私は、介護者の痴呆の方に対する偏見、人として生きる尊厳の無視などをこれからも改善してゆく努力が、大切であると考えている。また、先生が言われた「痴呆症の方も他者とのコミュニケーションを求めている」という事に、私も同じ意見だ。現在と過去を混合させて話される痴呆症の方と接してみて、誰か話しをする相手がいることで安心感を得られる方もいるということを痛感した。私はこの講義をとおし、痴呆症の方と家族の方について以前よりも理解を深める事が出来た。痴呆症に方の介護には、まず痴呆症について理解し、尊厳の気持ちと思いやり持って携わっていくべきである。私は来年、社会福祉現場実習を痴呆の方対象のデイサービスでさせてもらうのだが、今回学んだ事を念頭に、痴呆症についてより学んでゆきたい。                       ( S・O )                                            

私は今回の授業で、2つのことについて学び、自分の体験とも重ね合わせてみて、理解することが出来ました。まず、第一に痴呆症の人を始め私達が関っていくクライエントを受容するには、その人本人が抱えている病気・現在状況・家族構成等知っておくことが大切なのだと、改めて実感しました。私は今、特養でバイトをしています。そこには当然痴呆の方も居られ、対応については戸惑うことばかりでした。バイザーの方は「笑顔で対応すること・・・」と指導してくださいますが、私はどうしても納得がいかずに、いつも疑問を抱えたままでお話とかしていました。しかし、今回の授業で、痴呆のことについて体系的に学ぶことが出来ました。すると不思議に今まで胸につかえていたものを取り除けたように感じました。確かに、この受容と知識取得の関係は当たり前かもしれません。けれど今回、自分の体験を通して吸収できた事に意義があるのだ、と考えました。次に、介護者の置かれている状況についてです。最近、介護疲れによる殺人事件などが起こっています。その原因いついて、何気なくわかったつもりになっていたように思います。けれど今回のレジメで記載されているのを見て、一つ一つが切り離せない、複雑な問題だと実感しています。このしがらみを少しでもほぐせるよう、お手伝いしていくのが私たちに求められる事ではないでしょうか。以上2点について述べたが、今回の授業は大変有意義で、将来の糧になるものと思います。有難うございました。       ( M・M )                
                                       


 <参考資料>  * 関心の有る方は、Linkをクリックしてご覧ください。*

             痴呆患者に関するデータ                Link
             高齢化社会と痴呆症介護(福祉大 講義資料)   Link
             社会意識調査(JNNDB)                  Link
             痴呆性老人を抱える家族全国実態調査報告     Link